2005年11月05日

◆鳥と森

なぜかいつもロシア出国の当日に会うことになる詩人がいる。昼過ぎ,モスクワ北部のソコーリニキ公園の近くに住む詩人の家をたずねた。彼の奥さんは画家で,彼が詩を,彼女が絵を描いて合作を手がけている。

ロシアの画家の家によくあるように,アパートの壁一面に,彼女の作品がかかっていた。多くの作品に不思議な鳥が出てくる。揺れるような筆遣い,淡い色彩で,幻想的な世界を浮かびあがらせる。その中に一枚,いかにもロシアの村を思わせる田舎の家と林を舞台にした小さな絵があった。女性が手に魔法使いの水晶玉のような球を持ち,小屋の前に立つ男性に差し出している。男性は幸せそうに両手を差し伸べている。その男性の表情とロシアの風景が印象的だった。

彼女が森で集めたきのこを使ったスープとお茶を頂き,詩人が長年興味を持っているパリンドローム(回文)の話を聞いた後,飛行機の時間に間に合うように家を辞そうとすると,彼女が微笑んで袋を差し出し,そこにあの絵が入っていた。好きな画家は多くても,この絵がそばにあれば生活がもっと良いものになると思えるような作品は少ない。そんなわけで今,その絵と一緒に飛行機に乗っている。

2005年11月04日

◆ファランステル書店

展覧会を3つ取材してから,ファランステル書店へ行き,現代アーティスト,グリーシャ・ブルスキンとオレク・ワシーリエフの回想記や,イーゴリ・ホーリン,アンドレイ・ロジオーノフの詩集,ダニイル・ハルムスについての論集を買った。ファランステル書店は,オギ・ピロギ系列の書店と同様に,文学,美術,歴史,政治などの本を安く豊富に揃えているので,ロシア人の知人もよく通っている。

ファランステル書店の経営者は政治的傾向が強いので反感をかったためか,今年の始めに放火されて書店は一時期休業していたが,9月に別の場所で営業を再開した。再販制度が確立していないロシアでは,1,2年前の本を手に入れるのも一苦労だが,モスクワ書店やドーム・クニーギ,ビブリオ・グロブス等の書店に探している本がなければ,ファランステル,オギ,ピロギなどの小さい書店をまわると見つかることがある。こうした小書店は,モスクワでは文化の重要な発信地だ。

ファランステルの移転先は,プーシキンスカヤ駅から徒歩5分。プーシキン像を右手にトヴェルスカヤ通りを都心に向かって歩き,プーシキン広場のあるブリヴァールから数えて2つ目の細い道(Malyj Gnezdnikovskij per.)を右に曲がる。その道を15 メートルほどいくと左手に看板があるので,そのアーチの中にはいると,すぐ右手の 2階に書店がある。

9月か10月に,今年あいついで焼失したファランステル書店とビリングア書店の焼け出された本のバザーがあった。モスクワにいればぜひ行きたいところだった。今でもファランステル書店の一角には,焼け焦げた本のコーナーがある。

Malyj Gnezdnikovskij per. d.12/27. tel.(095)504-4795. 11時から20時まで。

2005年11月03日

◆戦争と美術

モスクワに来ると必ず立ち寄るクローキン・ギャラリーで,コンスンタンチン・バティンコフの展覧会《波の上を駆ける者》を見た。クローキンから歩いて10分のゲリマン・ギャラリーでは,1971年生れの若手アーティスト,ピョートル・ベールイの《Щ854》を見た。両者は手法も作風も全く異なるアーティストだが,奇しくも2つの展覧会とも,戦争や死をテーマとし,それぞれロシア文学の有名な作品をふまえて作られていた。

バティンコフは,アレクサンドル・グリーンの『波の上を駆ける女』を,ベールイはアレクサンドル・ソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィチの一日』をイメージの源泉としている。バティンコフの作品は,ベトナム戦争,クールスク潜水艦沈没,チェチェン戦争などの出来事を想起させる戦場の光景に,ところどころバティンコフ特有の陽気な空気を忍びこませ,明るい生と死の対比を効果的に浮かびあがらせている。

ベールイが作った焼け落ちた12のバラックのインスタレーションは,ソルジェニーツィンの作品に出てくるソ連時代の収容所をかたどったものと解説されているが,このバラックを見た者が最初に想起するのは,ベスランの小学校を初めとするチェチェン戦争の惨禍にほかならない。

その後,マヤコフスカヤにあるアイダン・ギャラリーとギャラリー・リジナを取材。アイダンでやっていたダゲスタンのアーティスト,アパンヂ・マゴメードフのレリーフでは,特異な質感と幾何学模様が調和していた。今までモスクワで数回,ダゲスタンの現代美術を見る機会があったが,マゴメド・カジュラーエフをはじめとして,見るべきものが多い。

2005年11月02日

◆チェリョームシキ

今年は暖かい晴天続きの晩秋で,今日も午前中から青空が高く澄み渡り,わずかに葉が残る木立が空に映えていた(といっても夜は零下なので,昨日まで2日間,部屋の集中暖房が突然止まった時は,並の寒さではなかった)。建築が専門の友人によると,葉が少なく,光の多いこんな日が,建築の撮影には一番適しているらしい。

友人とモスクワ現代美術センターで,若い芸術家の祭典《止まれ!そこを行くのは誰だ?》を取材してから,ギャラリー《キノ》で,ウラジーミル・ヤコヴレフ展を見る。ヤコヴレフは,長い半生を精神病院で送り,自分の人生を託すように野の花を描き続けた。彼の絵を去年の3月,タガンスカヤの美術館で見てから,モスクワに行くたびにヤコヴレフの展覧会があり,すでに4つの展覧会を見たことになる。作品の質としては,個人コレクションを基にした今回の展覧会は今一つだったが,それでも数枚の傑作が混じっていて,瑞々しい光を放っていた。

夜,久々に,モスクワ南部のチェリョームシキ地区に友人を訪ねた。ソ連時代の新興住宅街の代名詞でもあるこの地区には,団地と広い道路と殺風景な空き地がかもしだす独特の詩情がある。先日,モスクワ郊外のクチノの郷土博物館で,ソ連時代,クチノの工場でチェリョームシキの団地用の煉瓦が作られたが,今では土を使い果たしてしまって工場が稼働していないと聞いて,ある時代――ソ連的な建設と開発の時代――の終わりを見たような気がした。

2005年11月01日

◆ロシアのポップアート

数年前から,モスクワの秋の楽しみのひとつに,若者の芸術祭《止まれ!そこを行くのは誰だ?》が加わった。この1,2週間はいくつかのギャラリーで並行して若いアーティストの作品やパフォーマンスが披露される。質の良い展覧会で定評のあるネグリンナヤ街のモスクワ芸術センターでは,芸術祭の一貫として,話題のアーティスト,ダヴィート・テル=アガニヤンのビデオインスタレーション展をやっていた。4つのスクリーンに,踊る若者やアヴァンギャルド的幾何学模様などの白黒の映像が映しだされ,芸術に対するレーニンやトロツキーの言葉を大書した巨大なカンバスが会場を埋める。あらゆるものを一つの流れに統合していく芸術の動きとリズムを表現している。モスクワ芸術センター旧館や倉庫風のギャラリーなど,もっと無機的な空間で見せる方が,ずっと力強い印象を与えたはず。

新トレチャコフ美術館では,《ロシアのポップアート》展をやっていた。1960年代以降のロシア現代美術の特性を,世界のポップアートとの比較で見ていこうとする試みで,80年代のイワン・チュイコフの代表的作品など,出展されている作品も(特に前半は)粒ぞろいだ。ユーリー・アリベルトやミハイル・ロシャリの作品の変遷が見られるのも良い。1990年代以降を扱った後半の構成がやや手抜きな感じは否めないが,展覧会自体は一見の価値がある。11月13日まで。

2005年10月31日

◆太陽の金色の光を信じて

朝,学会のエクスカーションで,スモレンスカヤにある旧モロゾフ邸の特別公開に行った。この歴史的建築は今では銀行の事務所になっていて,見事なゴシック風のホールやポンペイ風の壁画も,ふだんは目にすることができない。モスクワ音楽院のそばにあるゴーリキーの家博物館のように昔の邸宅が一般公開されている例は少ないが,モスクワにも元貴族や商人の邸宅が無数にあるのだ。

その後,ノヴォデヴィチ修道院のベールイの墓に行った。ベールイ自身もしばしば訪れて瞑想にふけった場所で,修道院の高い壁に囲まれた空間にはなるほど静かな霊感が満ちているようだ。ペトロザヴォーツクから来た研究者は,「太陽の金色の光を信じて…」というベールイの有名な詩をふまえて,太陽のような黄色いガーベラの花を供えていた。この詩は,ベールイの死後すぐに,詩人が自分の死を予言した作品であると解釈されて以来,伝説的な作品になった。

夜,学会に参加していたロシア文学研究者に紹介されて,今は亡き画家夫妻ウラジーミル・スチェルリゴフとグレボワの姪が住むアパートに行った。アパートは地下鉄ヂナモ駅の街道に面して建ち,すべての部屋の壁一面に絵がかかっている。グレボワはパーヴェル・フィローノフの弟子で,スチェルリゴフは作家ダニイル・ハルムスとも親交が深く,それぞれ面白い作風を確立したのだが,今ではロシアでもたまに展覧会が催されるだけで,美術関係者の話題になることも少ない。スチェルリゴフのスケッチや油彩を手にとって間近に見ると,1973年に粛清されたこの画家の独特の宗教観や心の動きが伝わってくるようだ。

2005年10月30日

◆ソ連象徴主義

学会5日目。今日は,ベールイの詩が当時のソ連的な大衆詩から受けた影響についての面白い報告があったが,会場にいた80代の女性研究者が,ベールイの詩には高尚な文学や哲学からの影響こそあれ,ソ連の大衆詩からの影響があるわけはないと述べ,報告者が戸惑っていた。ベールイは実際には,ソ連時代の革命的なスローガンや大衆歌なども作品にとりこんでいて,それが後期の作品を多面的にしている。 6年前に参加したチェーホフ学会の時もそうだったが,長年研究してきた対象を神聖化してしまう研究者も多く,彼らは自分が信じる作家像に反する一切の意見を受けつけない。

昨日は,ベールイとマクシム・ゴーリキーの影響関係について論じた報告があり,私も以前から興味を持っているテーマだったが,休憩時間に数人のロシア人研究者が,「ソ連時代に小学校でいやというほどゴーリキーを読まされたのに,今になってまたゴーリキーを取り上げるなんて!」と話していた。もちろんそうした反応をする人はごく一部だが,ソ連時代に禁止されていたロシア象徴主義文学研究を志す人々の間では,「ソ連文化」と象徴主義の関係を認めることに対するある種の拒否反応にあうことも少なくない。ロシア象徴主義とソ連の無視しえない関係を,あえて挑発的に「ソ連象徴主義」と名づけたい誘惑にかられる。

2005年10月29日

◆薔薇

今日から学会会場は,プーシキン博物館から,アルバート街にあるベールイ博物館へ。モニカ・スピヴァクが,ベールイの死にまつわる伝説についてまとめた報告がとても面白かった。その報告が終わった後,会場で一人の白髪の女性が立ち上がり, 1933年,ベールイの死の前年に,コクテベリでベールイに会い,作家が籐椅子に腰掛けているのを見たというエピソードを聞かせてくれた。ロシアの哲学者シュペートの娘だった。その話がすばらしかったのと,彼女が学会会場に入ってきた時から,亡くなった祖母にあまりにも似ていて強い印象を受けたので,その後,素敵な物語のプレゼントに対するお礼を伝えに行った。彼女がベールイや昔について話すと,柔らかい不思議な光の中で往事の作家達がよみがえる気がする。

夕方,ブダペスト大学の主催で,ハンガリーの有名なロシア文学者レーナ・シラルド教授に捧げた文集のプレゼンテーションがあった。シラルド教授は初日から学会に参加していて,以前から憧れだった彼女に私が論文を渡すと,日本語で献辞を書くように求め,漢字ひとつひとつに感嘆の声をあげる優しくお茶目な女性だった。シラルド教授は,象徴主義研究が難しかった時代にいち早くベールイについて専門的な論文を書き,ブダペスト大学で長く教鞭をとり多くの教え子を育て,今はイタリアの大学で教えている。プレゼンテーションには,彼女の堅実な学風と開放的な人柄を慕う多くの人が集まって行われ,今まで見たどんなプレゼンテーションより感動的だった。シラルド教授に教わることのできた学生達も幸運だし,多くの優秀な学生達に恵まれたシラルド教授も幸運だと思う。文章のタイトルは,Sub Rosa. まさに,大輪の薔薇のように鮮やかで,教育と研究を通じて世界中に薔薇の種をまいてきた彼女にふさわしい。

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