2010年06月07日

◆とても短いテクスト――アンソロジーの方へ

2000年初頭に詩人ドミトリー・クズミンが編集した『とても短いテクスト――アンソロジーの方へ』(NLO出版)を読み返す。その名の通り、しばしば半ページにも満たない現代ロシアの超短編小説を集めた作品集である。人生や自然への想いを綴った哲学的な散文詩を書き、ロシアに「小さな散文」(マーラヤ・プローザ)の伝統の灯をともしたイワン・トゥルゲーネフの生誕180年を記念して、1998年11月にモスクワで「小さな散文フェスティバル」が開かれたが、本書はその催しで朗読されたテクストを母体としている。

クズミンは本書の序文で、ロシアではまさに1980-90年代に「小さな散文」への作家たちの関心が高まったと述べ、こう述べている。

「トルストイやドストエフスキーの時代から一世紀以上が、プラトーノフとブルガーコフから半世紀以上が過ぎた今、なにか統一的な世界像を提示する全体的なジャンルとしての長編小説にたいする疲労感がはっきりと表面化してきた(長編の分野でも、現代ロシアの散文のきわめてすぐれた作品の多くが――たとえば前世紀最後のブッカー賞を受賞したミハイル・シーシキンの『イスマイルの攻略』が――、断片の複雑なモザイクとして構成されていて、全編の筋立てと主要な思想を見いだすのが難しいのも、理由のないことではない)」

 それにくわえて、現代の大衆小説のほとんどが「長編」であることも、純文学が長編というジャンルを忌避するひとつの理由であるという。

 クズミンは、このアンソロジーに、「叙情詩と散文詩の方へ」、「エッセーの方へ」、「心理主義の方へ」、「風刺とユーモアの方へ」、「幻想文学の方へ」といった全一一ものセクションを設けて作品を分類しているが、それは「小さな散文」というジャンルの多面性を強調するためにほかならない。実際、本書には、文学の約束事や文学研究をかるく笑い飛ばすイリヤ・ククーリンの風刺的な作品もあれば、ゴミの投棄という日常の出来事をきっかけに、沈黙をめぐる思索を紡ぎだすイワン・アフメーチエフの内省的なテクストもある。

いっぽう、1977年生まれの詩人ダニーラ・ダヴィドフの小説「教師」は、不条理な作品ゆえに反体制を疑われて逮捕され、収容所の病院で1942年に餓死したダニイル・ハルムスのように不吉である。その全文を見てみよう。

「学校の校庭で教師が生徒たちに別れを告げている。遠い遠いところへ行くのだと彼は言う。どこへ行くのかと生徒たちは尋ねる。遠い遠いところへだ。ぼくはすこし離れた場所に立ってそれを見ている。突然、学校の警備員がぼくの肩に触れ、ぼくは振り向く。ここでなにをしているんですか、学校はもう終わりですよと警備員は言う。先生がここを永遠に立ち去る前に少し話をしたいんです。なにを言ってるんですか、先生はもうここにはいませんと警備員は言う。かれは汽車に乗っていますが、鉄道は燃えさかる密林を抜けていくんですと警備員は言う。でも先生は助かるんでしょうとぼくは警備員に訊く。20分後に分かりますと男は答える。ぼくは学校の壁を見ている――最近まで、壁はたしかに白く新しく見えたのに、今は黄ばんでひび割れて、ところどころ漆喰が剥がれている。かれは助かりましたよと警備員は言う。でも機関士は死にました。」

こうしたテクストは、ソ連という全体的、統一的な「大きな物語」の影響力の及ばない地平で生まれてきた。多種多様な「小さな物語」の集積であるこのアンソロジーは、まさに、モザイク的な現代ロシアの文化状況を映しだす鏡のような書物だといってよい。

2010年05月20日

◆『古代への情熱』

授業でとりあげている文献で、ハインリヒ・シュリーマンの『古代への情熱』が言及されていたので、今さらながらにこの「名著」を読む。

1846年にアムステルダムの商会の代理人としてペテルブルクに派遣されたシュリーマンは、インド藍などの貿易によってロシアで莫大な財産を築き、引退後、その資金をもとに発掘に専念して、1871年にトロヤを発見する。

数年前、モスクワで、シュリーマンの発見した遺物の展覧会を見た際、この発見もロシアのおかげで実現できたのだと、年配の学芸員が語っていたのが印象に残っている。ロシアで書かれたシュリーマンの伝記を読んでみるのも、きっと興味深いだろう。

数々の虚構、虚言で満ちているともいわれる本書だが、プロイセンの小村アンケルスハーゲンで送った幼年時代の物語は、ヨーロッパ文学の香りがして、ふとシュティフターの『水晶』を思いだしたりもする。

とはいえ、シュリーマンの功績をあからさまに書きたてるあくの強さゆえに、読み進めるうちに疲れを感じるのもたしかで、「理想的な偉人伝」のあり方について考えさせる。

2010年03月04日

◆クスコヴォ

3月3日、現代ロシア文化の仕事を進める。今年初めて沈丁花が咲いたのに気づいた夕方、近所の方が、裏の畑でもぎたてのブロッコリーを分けてくださり、春の自然の裾野に触れる。

BBC.Russianに記念碑についてのエッセーを書き、好きな記念碑について読者に尋ねたところ、ヴェロニカという女性が、次のようなコメントを寄せてくれた。

「私が一番好きな記念碑は、モスクワ南西部にあるクスコヴォの邸宅です。噴水、温室、キューピッドたち。これは、もう存在しないロシア、貴族文化の、生きている優美で愛らしい記念碑です」

クスコヴォを訪れた観光客は、ウィーンやパリの壮大な宮殿を予期してがっかりすることもあるというが、ロシアらしい森林と庭園の中に邸宅や温室が点在するクスコヴォの魅力は、西洋を模倣しながら快適な生活空間を作ろうとした様々な工夫が、今では微笑ましく感じられることだ。

ロシアに数ある貴族の邸宅博物館の中で、なぜクスコヴォが心地よいのか、いつか、その歴史と空間について調べてみたい。以前、20世紀のロシア文学における邸宅の表象について論文を書いた際に収集した邸宅研究の文献を、別の観点から読み直してみたいと思う。

kuskovo.jpg
Photo: Kuskovo.ru

2010年03月01日

◆野良犬の記念碑

BBC.Russianに書いた記念碑についてのエッセーに読者がコメントを寄せてくれて、ロシアにも犬の記念碑があることを知る。殺された野良犬の記念碑だという。

その犬はモスクワの地下鉄のメンデレーフスカヤ駅に住みつき、「マーリチク(男の子)」という名で呼ばれて、地下鉄の職員たちに可愛がられていたが、ある日、ナイフで惨殺されてしまった。その数年後の2007年2月に、「同情の印」として、また、「人々の関係もより良いものになるという望み」をこめて、殺された犬の銅像が同駅に建てられた。

忠犬ハチ公の物語が映画化されて話題を呼んだが、ロシアの野良犬の物語も、もし映画化されれば興味深い作品になるかもしれない。迷子になった子猫の視点をつうじて新生ロシアの混乱と人情を描いたイワン・ポポフ監督の『こねこ』が好例だが、無力な動物の視点で社会を描く時、世界の残酷さもあたたかさも、いっそう際立って表れてくる。

もちろんそれは、映画だけではなく、文学でもしばしば用いられる手法だ。たとえば、コンスタンチン・セルギエンコが野良犬たちの夢をつづった児童文学『さようなら、谷よ』のように。あるいは、19世紀の作家イワン・ゲンスレルが猫を主人公にペテルブルクの風俗をユーモラスに描きだした小説『本人の語りによる猫ワシーリイ・イワーノヴィチの伝記』 のように。ロシア版の『吾輩は猫である』ともいえるゲンスレルの小説は、今まだ読んでいる最中だが、ゴーゴリ的な文体が小気味よく、笑いを誘いもするし、ほろりともさせる。

sobaka.jpgメンデレーフスカヤ駅の殺された野良犬の記念碑

2008年12月09日

◆BBCロシア・ブログ

BBC Russian comのサイトで,「外国人のロシア冒険」欄の担当を始めた。各国のブロガーと一緒に,外国人の目から見たロシアの生活,文化をロシア語で紹介していく。

私の初回の記事は,「ロシアで会った忘れえぬ人々」。
ロシアでは,路上や店などで偶然一緒に居合わせた人たちとのあいだで,それから先もずっと忘れられないような会話をすることが,日本にいる時よりも頻繁に起こる気がする。

今回の記事では,ある吹雪の夜にモスクワ郊外の路上で,天使のようにどこからともなく現れて去っていった不思議な老人との出会いと,夏の夕暮れの警察で酔っぱらっていた気さくな警官との会話について書いてみた。

記事は,今後不定期に更新していく予定。

2006年05月27日

◆チシコフのハルムス

3月末にロシアから船便で送った書籍小包が届いた。

sluchai.bmp

これは,レオニート・チシコフが挿絵を描いたダニイル・ハルムスの『出来事』。
プーシキンとゴーゴリが際限なく転びつづける話,6の次に7が来るのか8が来るのか分からなくなって町中をかけまわる男たちの話など,ハルムスの不条理で不気味な世界に,チシコフの奇妙な生物たちの絵がマッチしている。

この本は,モスクワのニコーリスカヤ通りにあるクラブ《ピロギ》で偶然見つけた。地下なので空気は悪いが,手頃なカフェと,文学書を集めたユニークな書店,詩の朗読会やコンサートのためのミニホールがある。クラブハウスサンドイッチをつまみにビールを飲んで何時間も過ごせるありがたい場所。


Daniil Kharms. Sluchai. [Khudozh. L. Tishkov] M.: Mir kul'tury. 1993.

2005年05月17日

◆絵本とビール

『窓5月号』(ナウカ)が届く。この号では,最近モスクワのカフェ&バーが児童文化発信の場として重要な役割を演じていることを紹介した。モスクワのカフェ&クラブでロシアの伝統的なクリスマス劇ヴェルテプが上演されていること,クラブで夜中に日本のアニメーションが上映されていること。

モスクワのカフェバーに併設された書店では,人文関係の書籍が充実しているだけでなく,児童文学の名著も揃っている。ロシアでは2002年頃から〈イノストランカ〉,〈NLO〉,〈オギ〉など名著出版で定評のある出版社が,次々に児童書シリーズを展開し,新しいムーヴメントを作りだしつつある。〈NLO〉から2003年に出版された『むかしむかしあるところに犬がいました』は,イリーナ・ピヴォヴァロワの詩をモスクワ・コンセプチュアリズム出身のアーティスト,ヴィクトル・ピヴォヴァロフのイラストが彩る絵本の待望の復刊だったし,〈オギ〉の児童書シリーズから出版されたコンスンタンチン・セルギエンコの最高傑作『さようなら,谷よ』(1979)は,個人的には,この数年で一番感動した本の一冊だった。

(写真は上から,ブックカフェ《ビリングア》,『さようなら,谷よ』表紙,『むかしむかしあるところに犬がいました』表紙)