◆とても短いテクスト――アンソロジーの方へ
2000年初頭に詩人ドミトリー・クズミンが編集した『とても短いテクスト――アンソロジーの方へ』(NLO出版)を読み返す。その名の通り、しばしば半ページにも満たない現代ロシアの超短編小説を集めた作品集である。人生や自然への想いを綴った哲学的な散文詩を書き、ロシアに「小さな散文」(マーラヤ・プローザ)の伝統の灯をともしたイワン・トゥルゲーネフの生誕180年を記念して、1998年11月にモスクワで「小さな散文フェスティバル」が開かれたが、本書はその催しで朗読されたテクストを母体としている。
クズミンは本書の序文で、ロシアではまさに1980-90年代に「小さな散文」への作家たちの関心が高まったと述べ、こう述べている。
「トルストイやドストエフスキーの時代から一世紀以上が、プラトーノフとブルガーコフから半世紀以上が過ぎた今、なにか統一的な世界像を提示する全体的なジャンルとしての長編小説にたいする疲労感がはっきりと表面化してきた(長編の分野でも、現代ロシアの散文のきわめてすぐれた作品の多くが――たとえば前世紀最後のブッカー賞を受賞したミハイル・シーシキンの『イスマイルの攻略』が――、断片の複雑なモザイクとして構成されていて、全編の筋立てと主要な思想を見いだすのが難しいのも、理由のないことではない)」
それにくわえて、現代の大衆小説のほとんどが「長編」であることも、純文学が長編というジャンルを忌避するひとつの理由であるという。
クズミンは、このアンソロジーに、「叙情詩と散文詩の方へ」、「エッセーの方へ」、「心理主義の方へ」、「風刺とユーモアの方へ」、「幻想文学の方へ」といった全一一ものセクションを設けて作品を分類しているが、それは「小さな散文」というジャンルの多面性を強調するためにほかならない。実際、本書には、文学の約束事や文学研究をかるく笑い飛ばすイリヤ・ククーリンの風刺的な作品もあれば、ゴミの投棄という日常の出来事をきっかけに、沈黙をめぐる思索を紡ぎだすイワン・アフメーチエフの内省的なテクストもある。
いっぽう、1977年生まれの詩人ダニーラ・ダヴィドフの小説「教師」は、不条理な作品ゆえに反体制を疑われて逮捕され、収容所の病院で1942年に餓死したダニイル・ハルムスのように不吉である。その全文を見てみよう。
「学校の校庭で教師が生徒たちに別れを告げている。遠い遠いところへ行くのだと彼は言う。どこへ行くのかと生徒たちは尋ねる。遠い遠いところへだ。ぼくはすこし離れた場所に立ってそれを見ている。突然、学校の警備員がぼくの肩に触れ、ぼくは振り向く。ここでなにをしているんですか、学校はもう終わりですよと警備員は言う。先生がここを永遠に立ち去る前に少し話をしたいんです。なにを言ってるんですか、先生はもうここにはいませんと警備員は言う。かれは汽車に乗っていますが、鉄道は燃えさかる密林を抜けていくんですと警備員は言う。でも先生は助かるんでしょうとぼくは警備員に訊く。20分後に分かりますと男は答える。ぼくは学校の壁を見ている――最近まで、壁はたしかに白く新しく見えたのに、今は黄ばんでひび割れて、ところどころ漆喰が剥がれている。かれは助かりましたよと警備員は言う。でも機関士は死にました。」
こうしたテクストは、ソ連という全体的、統一的な「大きな物語」の影響力の及ばない地平で生まれてきた。多種多様な「小さな物語」の集積であるこのアンソロジーは、まさに、モザイク的な現代ロシアの文化状況を映しだす鏡のような書物だといってよい。


メンデレーフスカヤ駅の殺された野良犬の記念碑