◆ローゼンタールの子供達
ボリショイ劇場が,現代作家に脚本を,現代の音楽家に作曲を依頼した初めての作品として昨年話題を呼んだオペラ「ローゼンタールの子供達」を,先月モスクワで見た。脚本は,長編小説『ロマン』や『空色の脂肪』など話題作を次々に発表してきたウラジーミル・ソローキンである。
ソローキンは,ソ連時代の政治家の言説を批判的に引用した刺激的な作品を執筆してきたこともあり,現代ロシアの急進的な政治団体によって今までに何度も焚書事件や裁判に巻きこまれてきた。ロシアの攻撃的な若者達の政治団体「ナーシ(われらの人々)」がボリショイ劇場前広場で反対集会を行ったのは,日頃のかれらの極端な行動を見ていれば驚くにはあたらないが,「ローゼンタール」初演直前には,上演を阻止しようとする保守派議員の提案を受けて国会でまで上演の可否が論じられるなど,様々なスキャンダルをひきおこしてきた。
結論からいえば,1910年にベルリンで生まれ,その後生物学の教授としてクローンの実験を進めていたローゼンタールというマッド・サイエンティストが,ナチスの迫害を受けて30年代末にソ連に亡命し,40年に初めてクローン人間を作りだすというストーリーや,第一幕で「引用」されるスターリン,フルシチョフ,ブレジネフ,アンドロポフ,ゴルバチョフ,エリツィンのいかにもそれらしい言葉が笑いを誘う。
しかし,クローンとして復活したヴェルディ,モーツァルト,ワーグナー,チャイコフスキー,ムソルグスキーが1993年のロシアの鉄道駅で辻音楽家として小銭を稼ぎ,娼婦と愛のアリアを歌う第二幕は,ことさらにメロディアスで浪漫的だった。ソローキンの小説世界を知らずにたまたま劇場を訪れ,第一幕で度肝を抜かれた観客は,終演後のホールで「でも,第二幕は美しくて良かったですね」と気をとりなおしていたが,結局は,ボリショイという保守的な場でオペラを上演するための妥協的作品となってしまったように思える。歴代の政治家の場面も,エリツィンどまりでプーチンの独特の演説の「引用」がなかったのも物足りない(ボリショイで作品を上演するためにはしかたないとはいえ)。
もちろん,ソローキンは小説でも, 18世紀ロシア文学風の繊細優美な風景描写をわざととりいれることもあり,まったく違ったタイプのテキストを並置することで,すべてを滑稽,相対的ものに化してしまう手法を使ってきた。第二幕の甘美なアリアも,そうした創作上の手法に基づいていることはまちがいない。だがやはり,小説とオペラでは効果が大きく異なり,ソローキンの本領発揮とまではいかなかったのが残念である。
とはいってもこのオペラは,祖先の復活を夢見た哲学者ニコライ・フョードロフなどをはじめとするソ連,ロシアにおける不死の思想や,政治と科学者の関係,ソ連における芸術家の立場など,様々なユニークな問題をとりあげている。現代ロシアにおける文化をめぐる状況,表現の自由を考える上でも,観客の反応とあわせてオペラを見に行くのも面白いだろう。


