2010年03月09日

◆子どもたちの遺言

育児休業から復帰して2週間。大学の仕事と育児の両立は予想よりずっと厳しく、体の芯から痛めつけられたような疲れと悪寒で、もう2度も寝込んでしまう。

昼は手が離せず、夜もいまだに5回は目を覚ます1歳児の世話をしながら、早朝に自分の仕事をしていた休業中の生活は、仕事だけをしていた頃よりハードたったので、復帰後の生活がこんなに大変とは思っていなかった。4月に授業と教務委員が始まったら体がもつのか、夜中にたびたび子供を寝かしつけながら、不安で目が冴えてしまう。育児短時間勤務制度はあっても、仕事の絶対量は減らないので、自宅への持ち帰りの仕事が増えるだけで、解決にはならない。

復職前は、復帰後もなるべく子供に愛情と時間を注ぎたいと願っていたが、復職後はそんな余裕はなく、せめて明朝までに体調が回復して起き上がって仕事に行けますようにというのが唯一の願い、というワーキングマザーが、世の中にどれほどいるのだろう。

今日書店に届いた何冊かの本をめくる。谷川俊太郎の詩に田淵章三が子供たちの写真を添えた、『子どもたちの遺言』を読む。

当初、谷川俊太郎は作者である自分が子供たちに向かって遺言を書くという発想で詩を書こうとしたが、「まだ死からはるかに遠い子どもが大人に向かって遺言するほうが、この時代ではずっと切実ではないか」と思って、子どもの言葉で死と生を語ることにした。生まれたての子どもから成人式を迎える子どもまで、12の詩が収められている。

息子のために買った本ではないのに、子供たちの写真が面白いのか、息子も寄ってきて本をめくりはじめたので、「邪魔しないで」好きなように触らせてみた。というのも、生まれたての子どもの気持ちを綴ったこんな詩が載っていたから。


「生まれたよ ぼく」
            
生まれたよ ぼく
やっとここにやってきた
まだ眼は開いてないけど
まだ耳も聞こえないけど
ぼくは知ってる
ここがどんなにすばらしいところか
だから邪魔しないでください
ぼくが笑うのを ぼくが泣くのを
ぼくが誰かを好きになるのを
ぼくが幸せになるのを

いつかぼくが
ここから出て行くときのために
いまからぼくは遺言する
山はいつまでも高くそびえていてほしい
海はいつまでも深くたたえていてほしい
空はいつまでも青く澄んでいてほしい
そして人はここにやってきた日のことを
忘れずにいてほしい

kodomo.jpg

谷川俊太郎・田淵章三 『子どもたちの遺言』(佼成出版社、2009年)

2010年03月07日

◆The Red Book

さっきすれ違った人が、1984年にウォルフガング・ペーターゼンが制作した映画『ネバーエンディング・ストーリー』の話をしていた。原作は、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』。不思議な本を手に取った少年が、その物語の世界である「ファンタ―ジェーン」に入りこみ、英雄となって戦うストーリーである。

最近、"The Red Book"という本を知り、人間が本の世界に入りこんでしまう物語について考えていたところだったので、そんな会話を耳にした偶然に驚いた。

"The Red Book"は、バーバラ・レーマンが制作した文字のない絵本で、街角や海辺で偶然拾った赤い本の中に入りこんでしまう少年や少女たちの物語を、イラストだけで綴っている。アメリカの都市の灰色の雪の風景が美しい。

彼岸の世界に魅入られた子供たちは、『はてしない物語』のバスチアンのように現実世界に帰ることができるのだろうか。それとも帰りたくなどないから、本の世界へ去ってしまったのか。
存在のかすかな不安を感じながら、何度でもめくってみたくなる魔法の書。

redbook.jpg
Barbara Lehman, The Red Book. Houghton Mifflin: 2004.
以下の邦訳もある。バーバラ・レーマン『レッド・ブック』評論社、2008年

2010年03月03日

◆シャガールと木の葉

谷川俊太郎の『シャガールと木の葉』を1年ぶりに読み返し、やはり今回も、「この今--栗原知子さんの詩集に寄せて」という詩の次の1節が心に残った。


 雨があがって物音が静まった
 道を歩く人が携帯で話す声が聞こえる
 こんな夜にも誰かがどこかで詩を書いている
 (中略)
 心から心へ触れていく文字の指先
 歴史が決してとらえることの出来ないこの今
 誰かがどこかで詩を書いている たった一人で


ロシアではソ連時代に、体制の支持を得られなかった詩人や作家が、掃除夫や夜警をしながら詩を書いていた時代があった。

体制や時代が変わった今も、ほとんどの詩人が詩で食べていけるはずもなく、私の知人の詩人たちは、出版社などで夜警をしながら詩を書いている。ゲルマン・ルコムニコフ、ニコライ・ミレシュキン、そして、すでにこの世を去ったドミートリイ・アヴァリアーニ。

夜警の詰め所の薄暗い小部屋で、彼らは今も夜半に独りで詩を書いているのだろうか。
彼らがどこかで無心に詩を書いていることは、この世界にとって、あるいはすくなくとも私にとっては、救いであるように思える。かれらが詩を書くという行為は、紛争が続く国の修道院で、あるいは平和な飽食の国の山中の庵で、あるいは都会の雑踏のただ中で頭を垂れる、修道士や修行僧の祈りに通じている。


tanikawa.jpg
谷川俊太郎 『シャガールと木の葉』 集英社 2005年

2010年02月28日

◆わたしと小鳥とすずと

数日前,寒さがゆるんだので夕方の散歩に出かけると,1歳になる息子が空を指さしている。そこには白い月が浮かんでいた。暗くなってから散歩に出ることなど珍しいので,生まれてから1年,子供が初めて月を見たらしいことに気づく。

0歳の終わりごろから,子供はよく指さすようになる。昨年の暮れだったか,晴れた冬の公園で,息子がじっと空を指すのでその先を見ると,大木の頂でたくさんの小鳥が舞っては止まりながらさえずっていた。

子供は,鳥と不思議な関係で結ばれているような気がする。息子は文字通り生まれたばかりのころ,鳥の声が聞こえてくると,いつも,そのさえずりとそっくりな声を出して答えたものだった。1,2週間すると,その不思議な応答をぱったり止めてしまった。まるで,生まれてくる前にいた天の記憶を失ってしまったとでもいうかのように。そう感じたのは,誕生前の体験を乳児とムクドリが語りあうエピソードが懐かしい『メアリー・ポピンズ』の影響だろうか。

新生児の時だけの神秘的な反応を息子が早々に失ってしまうのは寂しいことでもあったが,鳥とあまりに近い存在であることは,どうしても命のはかなさを連想させるので--ある日突然飛び去ってしまうというように--,すこし安堵したことも覚えている。だが,今でも,他の動物よりも鳥に敏感に反応する。

昨年までは見たこともなかった幼児番組で,大正末期から昭和の初めにかけて活動した童謡詩人,金子みすゞの作品を放送していた。26歳で世を去るまで512編の詩を書いたとされるみすゞの作品に,20年以上前に読みふけったことを思い出した。そういえば,金子みすゞの詩は,ロシア語に訳してみたら,また違う魅力で輝くタイプの作品だと思う。以前,ロシアの詩人ミハイル・スホーチンと共に,谷川俊太郎の詩を数編訳したことがある。金子みすゞの詩も,ロシアの詩人の力を借りて簡素で美しい言葉に訳したら,翻訳によって女性的な語りが背後に退き,空想性が前面に押しだされて,案外と,不条理詩で知られるオベリウの詩人たちのようなとびきりの児童詩に仕上がりそうに思える。

misuzu.jpg
『わたしと小鳥とすずと―金子みすゞ童謡集』
JULA出版局  1984年

2010年02月27日

◆世界で一番孤独なスポーツ

エヴゲーニイ・グリシコヴェツの小説『シャツ』では,30代の男性である主人公とその友人が,「世界でもっとも孤独なスポーツはなにか」という話題に興じる場面がある。

彼らは,それは女子フィギュアスケートだという結論に達する。氷の空間の上で,女性がたった一人で,誰の助けもなく,時には救いを求めるかのように両手を天に差しのべながら滑っていくスポーツだから。

オリンピックの映像を見て,ふとその一節を思い出した。

2010年02月23日

◆ゲニスとワルラーモフ

途中で退席しなくてはならないのが残念だったが,国際ワークショップ「ポスト・スターリン時代の文化的想像力」の前半にだけ参加でき,アレクサンドル・ゲニス(評論家)の講演「亡命ロシアの《第3の波》――自由の仮縫い」と,アレクセイ・ワルラーモフ(モスクワ大学教授、作家)の講演「土壌主義者と自由主義者の見たソヴィエト文学の《正当派》と《異端派》」を聞いた。

ゲニスの報告は,1970年代から90年代にかけてロシアの作家や芸術家たちが海外に亡命したことによって生じた「亡命ロシアの第三の波」の文化を,大きなパノラマで描きだすもので,亡命作家の定期刊行物,作品,傾向などについて,革命期の「亡命ロシアの第一の波」や第二次世界大戦期の「第二の波」との比較をまじえながら考察した。

ワルラーモフは,A.トルストイ,ブルガーコフ,プラトーノフという3人の作家に関する膨大な評論の背後にある思想性,政治性をあぶりだした。両者の講演とも,扱ったテーマと時代,研究方法,総括的な報告のスタイルなど,あらゆる面で刺激的を受けた。

2010年02月21日

◆ベールイ博物館

昨日のブログで触れたクチノについて。

アンドレイ・ベールイの原稿や独特の絵画作品を展示するアルバート通りのベールイ博物館は必見で,アルバート界隈に林立するプーシキン博物館やスクリャービン博物館とともにぜひ訪れたい場所だが,モスクワ県のクチノにも,作家の晩年の孤独を偲ばせるささやかな博物館がある。) 

作家にまつわる資料も少なく,快適な二階建ての小さな家屋は,田舎のダーチャ(ロシアの山荘)に来たようでもあるが,各部屋をまわっていると,ベールイと晩年を共にしたクラウジヤ・ブガーエワが回想記に記した当時の生活が甦ってくる。なにより,クチノの寂しい自然が,ベールイの晩年の作品につながっている。

クチノの訪問記はこちら

2010年02月20日

◆記念碑

「世界中の好きな場所に好きな記念碑をひとつだけ建てられるとしたら、どこに何を造りますか?」という書き出しで始まるロシア語の記事を書き、編集者に送る。

プーシキンなら、私は自分の不滅の詩によって、記念碑を建てたというだろう。

日本贔屓の詩人ウラジーミル・ゲルツィクは、私の質問に答えて、「ぼくはもうこんな記念碑を建てたよ」と、まさに「記念碑」というタイトルの詩のリンクを送ってくれた。プーシキンの有名な詩のパロディで、

私は自分の記念碑を建てた。詩人の気まぐれだ
私は自分の記念碑を建てた。それが今流行だから。
私は自分の記念碑を建てた。そうする必要があった……

という具合に延々と続いていく。(ロシア語原文のリンクはこちら

私なら、作家アンドレイ・ベールイが苦い晩年を過ごしたクチノの森の奥の、わざわざ訪ねていかなければ誰の目にも触れない場所に、作家の胸像を置きたい。 彼が幼年時代を過ごした華やかなアルバート通りにではなく。

記念碑はしばしば、人々の悲しみや苛立ちを招き、諍いを引き起こすものでもあるから、願わくは、その記念碑に「会いたい」と思ってその場を訪れる人の目にだけ触れるような、そんな人知れぬ場所に記念碑を立てたいものだ。あらゆる政治的な、あるいは醜い記念碑へのアンチテーゼとして。