◆バビロンとクズミン
今月の前半は,1988年に創設された文学者団体「バビロン」についての情報を整理していた。
25歳以下の詩人,作家たちが集う「若き文学者の同盟」として出発した「バビロン」は,最前線の文学作品を紹介する雑誌『バビロン』を1989年から2004年にかけて刊行し(92年までは地下出版),文学会や文学コンクールを企画し,90年代なかばからは,海外のロシア語詩人や老年の作家たちも巻きこんで,世代や国境をこえたダイナミックな文学運動をくりひろげてきた。
1997年にはインターネットのサイトを創設し,モスクワの各地で毎日おこなわれている朗読会のスケジュールを集約して,だれもが情報を共有できるようにしただけでなく,無数の朗読会の詳細なレビュー,現代作家の人物事典,現代文学アンソロジーを作成し,結果的に,約15年間にわたるロシアの現代文学の見取り図をつくりあげた。
「若き文学者の同盟バビロン」を創立したのは、スタニスラフ・リヴォフスキー(1972年生)、ワジム・カリーニン(1973年生)などの若い詩人たちだったが、なかでも中心的な役割を演じたのが、1968年生まれの詩人ドミートリー・クズミンである。
クズミンは,出版社「アルゴリスク」の編集長として,現代詩人や作家の少部数の作品集や,文芸誌を数多く出版すると同時に,「若き詩のフェスティバル」などの数々の催しを企画し,海外やロシア全土から詩人を招いて開かれる国際モスクワ詩人フェスティバルの組織委員や,俳句コンクールの審査員を務めてきた。
ソ連時代の非公式文学を再評価する活動にもとりくみ,かれのエネルギッシュな活躍ぶりは,「現代のディアギレフ」といってもよいほどだ(20世紀初頭に,美術,文学,バレエ,オペラなどの分野で活躍した芸術プロデューサーのセルゲイ・ディアギレフと同様に,クズミンも自分が同性愛者であることを公言し,ゲイの人権活動にもかかわっている)。
地方や海外の詩人の発見にも意欲的で,クズミンが編集したアンソロジー『非首都の文学――ロシアの地方の詩と散文』(2001)は,第15回モスクワ国際書籍展示市の「今年の書籍賞」を受賞した。2002年には,「バビロン」を中心とする活動にたいして,アンドレイ・ベールイ賞の「文学に対する貢献部門」を受賞している。
クズミンは、1997年から2003年にわたって,朗読会のスケジュールや新刊情報を掲載した『モスクワ文学生活』を全66号発行しつづけた。当時、だれもが、この新聞を片手に方々の朗読会場を回っていた。まるで、この粗末な印刷の新聞が、詩の場所を訪れるための大切なチケットであるとでもいうように。そして、「オギ」や「アフトルニク」の朗読会場のカーテンを開けると,暗い室内の奥で,クズミンが朗読がはじまるのをすでに待っていた。ときには,「バビロン」の詩人たちとともに。ときにはヴィスコンティの『ベニスに死す』のタッジオさながらの美しい少年たちにかこまれて。
かれは、会うたびに違う少年を連れていたように思う。2001年にひらかれた第2回国際モスクワ詩人フェスティバルでかれが朗読したこの詩も、そんな少年の一人を歌っているのだろうか。
M・Pへ
ぼくたちは地下鉄で長距離列車の駅に着いた
おまえはずっと、どんなに地下鉄が好きかという話ばかりしていた
おまえの唾の飛沫が
ぼくの額に落ちた
冷たい点となって
(飛んでくるあいだにどうやって冷めたのか?)
ぼくがおまえから手に入れたのは、それがすべてだ
クズミンは寡作な詩人だが,2009年には詩集『生きているのは良いことだ』(2008)で,「モスコフスキー・ショート賞」の銀賞を受賞している。

