2004年09月29日

◆出国

とうとう出国の日が来た。ロシアの大学院で同窓だった友人たちが訪ねてきてくれた。彼らのほとんどが教職についているが,授業や学校での悩みどころは国境を越えるようで話が盛りあがった。

帰国の日に空港へ向かうタクシーのなかでは,いつも血のかわりに炭酸水が体を流れているような辛い気持になる。毎年ロシアに来るので,ロシアの人々にも「ロシアのどこがそんなにいいの?」とよく聞かれるけれど,一言では答えられない。ここには図書館,共同研究者,美術展,学会など研究に必要なあらゆるものがあり,ロシア現代文化も研究している私にとっては見るものすべてが面白い。でもそれだけではなくて,ロシアでは本当に思っていること,くりかえし考えていることについて率直に話しあえることが多いので,人と触れあっている,生きているという実感がある。ロシアでのコミュニケーションにもソ連的官僚主義の名残りなど否定的な面もあるが,自分の気持ちと言葉で相手との信頼関係をつちかい,道なきところに立っていても自分の四方に道を作っていけるという自由さが,ロシアにひきつけられる大きな理由のひとつかもしれない。

2004年09月28日

◆約束の地

留学時代に大学のエレベーターの扉でうっかりはさんだのがきっかけで知りあった友人と1年ぶりに再会した。彼女はロシア系ユダヤ人で,出会った当初から日本の宗教問題や家族観についてつっこんだ質問をしてきて,ユダヤ人としてロシアで生きることはどんなことだと思うかを語り,ヘブライ語の辞書を片手にイスラエル移住の夢を語る人だった。ユダヤ問題や多民族国家としてのロシアについて話題をふってくるので,他の友人とはしにくい話もできた。そんな彼女が最近イスラエル留学の奨学金を断って,専門の心理学も捨て,モスクワで新たな道を探すという。永住に結びつく留学話だっただけに大きな決断だったというが,自分でもなぜ断ることにしたか分からないといい顔は蒼ざめていた。帰り際にヘブライ語のアルファベットがかかれた未使用の鉛筆をくれた。「小学生の時にもらってからずっとお守りがわりにかばんに入れていたが,なぜか急にあげたくなった」と言った。鉛筆を手にアルファベットをひとつひとつ説明してくれる声を聞きながら,3月にはもう少し元気な彼女に会えたらいいと思った。

ロシア語と日本語を流ちょうに話すブルガリア人の若い女性と知りあった。実際は彼女の陽気な人柄のせいもあると思うが,ロシアで「ブルガリア人だ」というと「兄弟よ,スラヴの民よ」と歓迎されるので驚いたという。自分が経験したことのないロシアの一面を聞いた。

2004年09月27日

◆あなたは誰?

展覧会のオープニングで知りあった編集者を訪ねて,美術雑誌の編集部に行った。日本の現代美術に興味を持つ友人たちがロシアでの資料不足を嘆いていたので,これから彼と協力して20世紀の日本美術や,日本でのロシア美術受容の状況について紹介できたらいいと思う。編集部の壁には,11月にオープンする予定のギャラリーで扱うシベリアの現代アーティストたちの作品が並んでいた。編集者自身がシベリアに足をはこんで《発掘》してきたらしい。まだまだ知られていない面白いアーティストたちがロシアにも日本にもたくさんいる。

もうすぐ帰国するので出発の挨拶をするために電話をかけたり受けたりすることが多くなってきた。ロシアでは一部の地域をのぞいて市内電話は基本的にかけ放題なので,《電話文化》と名づけていいほど電話好きの人が多い。困るのは電話をかけてきて名乗らない人がけっこういることで,「もしもし,ワカナ?」と言われた時点ですぐにこちらから名前を呼ぶのが礼儀だが,似た声の人もいるのでこれがなかなか難しい。時々緊張する。

2004年09月26日

◆すぐそこは森

画家の夫妻といっしょに,グルジア美術を研究している友人のところにお客にいった。画家夫妻のご主人のほうは,ロシア・アヴァンギャルドの影響を感じさせる幾何学模様を使って版画や立体作品を制作しているアーティスト。この夏も現代アート・フェスティバルやいくつかの展覧会に参加して活躍しているが,やはりアーティストの生活は厳しい。今月からある学校で美術史を教えはじめたが,プロの教師として恥ずかしくない授業をするためにしっかり準備すると制作にそそぐ力が残らないので,悩んだ末辞職したと聞いて,いろいろ考えさせられた。食事の後,4人で森を散歩した。市の中心部から車でわずか20分のヤロスラヴリ街道脇には深い森が広がっている。雪の深夜に歩くのがとりわけきれいだという。アパートのすぐ右は森,左は都心に続く街道。2つの世界を行き来できるこんな場所に住んでみたい。

友人は私の家族がサーラが好きだと知って,前もって作ってお土産にくれた。サーラは豚の脂身のかたまりをハーブと塩で味付けして布にくるみ,冷蔵庫で1週間寝かせて作る昔ながらの食べ物で,スライスして黒パンにのせて食べる。映画『誓いの休暇』や『国境』で登場人物たちが実においしそうに食べているのがこれ。ウォッカのつまみに最適だが,幸い(?)ウォッカは出なかった。

2004年09月25日

◆黄金の地図

トレチャコフ美術館旧館で《ドミトリー・プラヴィンスキー展》を見た。プラヴィンスキーは装飾過多で凡庸な絵も描いているが,魚や文字をテーマにした代表作はやはり面白い。同館で開催されていた《チュメニ県立美術館展》では,「北方のピロスマニシヴィリ」とよばれるコンスタンチン・パンコフの40年代の作品がきわだっていた。同じプリミティヴィズムでも,青と黒,沈んだ緑を基調にし,ピロスマニシヴィリの叙情詩的な作品が独特の悲哀と優しさを湛えているのに対して,パンコフの作品は色あざやかで,異国の昔話のようなぬくもりがある。

同展は,トレチャコフ美術館と地方の美術館が所蔵作品を交換して展覧会を開くというプロジェクト《ロシアの黄金の地図》の24度目の展覧会。ソ連時代の文化政策で,ロシア絵画の名作を地方の美術館でも鑑賞できるように,中央の美術館からソ連全土の美術館に数多くの作品が寄贈された。これはもちろんいいことでもあるが,一人の画家のまとまったコレクションが一カ所にないことで研究や調査が進まないという難点もあった。このプロジェクトは,中央と地方の美術館の連携を深めることでそうした問題を解決しようとする試みらしい。

夜,共同研究者の家でお別れのパーティーがあった。ソ連時代後期にコーカサス地方ではインド映画が大流行したという話や,60-70年代の大衆歌謡の話を伺っているうちに,先生方は歌いだしてしまった。当時の大衆文化はすごく奥の深い世界みたいだ。

2004年09月24日

◆紙の上の言葉

詩人のゲルマン・ルコムニコフ,コーリャ・ミレシュキンと《ノーヴイ・エルミタージュ》ギャラリーで《ウラジーミル・ヤーコヴレフ生誕70周年展》を見た。おおげさな言い方だが,ヤーコヴレフの描いた花の絵が1枚でも自分の家にかかっていたら人生が変わりそうなほど,彼の絵には惹きつけられる。

ゲルマンは,今日刷りあがったばかりの『ユーリー・スミルノフ詩集 紙の上の言葉』をプレゼントしてくれた。スミルノフ(1933-78)は忘れられた詩人で,この詩集は彼の詩を後世に残すために遺族や友人のもとにあった原稿を9ヶ月かけて整理したものだという。ゲルマンの苦労も並大抵ではないが,無名詩人の478ページもの詩集を1000部も刷った出版社の英断もすごいと思う。聞けばその出版社にとってはこれが最初の本だという。2-3週間後には,詩人イワン・アフメーチエフが編集した『クロピヴニツキー詩集』も同じ出版社から出るそうで,こちらも楽しみだ。スミルノフの詩は,叙情がユーモアに,ユーモアがアイロニーにひらりとかわっていく転換が小気味よい。それにしても,詩人が別の亡くなった詩人の詩集を編纂する時の真剣さには,いつもはっとさせられる。こうして互いに詩人は言葉を伝えあっていくのだろうか。

* Yurij Smirnov. Slova na bumage. Moskva:Kul'turnyj sloj, 2004.

2004年09月23日

◆秋の野と文学

モスクワは昨日から小雨続き。秋雨と黄葉に風情を感じる季節になってきた。黄葉樹が多いロシアの秋は《黄金の秋》といって,月並みな表現だが,夢のように美しい。この時期になると,詩人チュッチェフの邸宅博物館を見るために数年前に訪れたムラーノヴォの秋の野原が目に浮かぶ。ペレジェルキノにある作家パステルナークの家の書斎の窓から見た悲しげな野原も忘れられない。パステルナークが『ドクトル・ジバゴ』で引用した「人生を生きるのは野を横切るほどたやすくはない」という諺を思いだすからかもしれない。

今日は共同研究者を訪ねて郊外の村に行った。先生のアパートの窓から見る野原も牛が寝そべっていて何とものどかだが,最近になって郊外型の大型家具店ができたので,夜には野原の向こうにネオンが見える。村人たちがこの家具店で働くようになって村はずいぶん潤ったが,夜になると真っ暗な道もまだ多くて,ぬかるみのなかをバス停までたどりつくのに苦労した。前から来る人が男か女かも分からず,ちょっとどきどきした。アンドレイ・ベールイの小説『銀の鳩』の主人公が,殺される前にさまよったカフカ的な暗い町のようだ。でもゴーゴリの小説にでてくるウクライナやロシアの田舎のぬかるみを思いだすと,また何だか楽しくなってきた。

2004年09月22日

◆ジーンズでもいいですか?

共同研究者のマゴメドワ先生が不意に,「日本の大学では先生はジーンズで授業をしてもいいの?」と訊いてきた。「ジーンズをはいている人もいますが,女性でしかも勤続年数が短いとジーンズは履きにくいかもしれません」と答えてみた。「ロシアではジーンズだっていいの。自由なのよ」と先生はなんだか嬉しそうだった。

マゴメドワ先生はたいていスーツ,皮のバッグ,パンプスとフォーマルな格好をしているが,同じ大学で働いている先生のご主人はジーンズとジージャンを粋に着こなして,とても60過ぎにはみえない。私はといえば日本で体力作りのために家から勤務先まで早足で往復1時間の通勤路を歩きはじめてから,だんだん服装がカジュアルになってきたが,ロシアでひそかなブームになっている地下足袋を履く域には達していない(あたりまえか)。友人の話では,パフォーマンスをする芸術家は足袋を履くので,これも日本のお土産として人気らしい。でもみんなに足のサイズを聞いてまわるのも…

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