2010年03月19日

◆植物と時代と

先月、黒い枝と白梅が夕日を背に浮かびあがる小さな梅園のそばを通りかかり、ゴッホが歌川広重作「名所江戸百景 亀戸梅屋鋪」を模写した「花咲く梅の木」(1887)を思いだした。でも、その冬の澄んだ夕空は、ゴッホの濃厚なマチエールよりも、広重の透明感により近かったような気がする。
東京の郊外の、もとは広かった梅園に今ではまばゆい大型のドラックストアが建ち、その裏手にひっそり十本ばかり梅が残っているのは、それでもなんともいえない武蔵野の風情だ。

先日ふたたび、やはり夕暮れ時にそのそばを通りかかると、梅は盛りを過ぎていたが、予期せぬことに、梅の根をなでるように一面にスミレが花開いていた。夕べに見るスミレの群生がこれほど幻想的なものだとは知らなかった。10年ほど前、北国の明るい夕べに、モスクワのエルミタージュ庭園で、名前の分からない青い花の茂みの写真を撮りつづけた夜があったが、その時と同じように、ふと、ロシア象徴主義のアレクサンドル・ブロークのスミレの詩を読みかえしたくなる。

先月、神代植物公園で、ヒスイカズラという勾玉のような形の青緑色の花を見た。
ヒスイカズラと、ある種の柳も、私にはなぜか、20世紀初頭ロシアの「銀の時代」の文化を連想させる。柳は、当時の「芸術世界」派の絵画に実際に描かれているし、その優美で繊細な線もあの時代の詩にふさわしい。熱帯植物のヒスイカズラはロシア「銀の時代」とはなんの関係もないけれど、世紀末的なその色彩と形状は、ビアズリーやミハイル・ヴルーベリの世界を彷彿させる。

ロシアの文学研究者を何人か日本に招いた際、かれらはしばしば、路傍の木や花の名前を尋ね、私や学生がそれを知らないことに心底驚いていた。「毎日見ている木の名前をなぜ知らないのか」と。
それから数年経った今も、私の植物の知識はほとんど増えていない、というか皆無に近いが、子供といつも同じ道を、それこそもう百回近く散歩するうちに、その時々の植物に以前より興味を覚えるようになった。(なにしろ、道はいつも同じだし、子供に話しかけようにも、いつしか眠ってしまうのだから。)

同じ道を毎日散歩していると、草木の勢いや日ざしの強さのかすかな違いを肌で感じるようになる。通学路や通勤時には感じたことのない感覚だ。
八月には、地元の小学校の裏の木陰で、昨日よりも濃い葉の色と強い日光を見上げた。一月には、変哲もない郊外の町のあちこちで、意外なほど多くの人が水仙を好んでいることを知った。
休業期間も終わり、幸福でもあるが時にはやや苦行のようでもあった、千日回峰行めいた日々は遠くなってしまったが、草木へのゆるやかな興味はその後も続いている。木や花に自分を重ねたロシアの詩人たち詩を読む時に、その感覚がいつか役立つだろうか。

gogh.jpgフィンセント・ファン・ゴッホ「花咲く梅の木」(1887)

2010年02月24日

◆ブダペストの彫刻公園

記念碑についてのロシア語エッセーがBBC.Russianのサイトに掲載された。

ペテルブルクの「夏の園」のクルィロフの彫像、モスクワの宇宙飛行士ガガーリンの記念碑、モスクワ川に1997年に建てられたピョートル2世の悪評高いモニュメントについて。

ソ連崩壊の際に撤去された社会主義の記念碑は、トレチャコフ美術館新館の脇の空き地に放置され、過去に思いをはせるための詩的な空間を作っていた。だが、ある日突然「名誉回復」されて、台座、プレートを与えられ、花壇と小道のある、いかにも薄っぺらい小公園が作られた。

一方、同じく社会主義時代の記念碑を集めたブダペストの彫刻公園は、ハンガリーにおけるソ連や社会主義時代へのまなざしを知ることのできる場所だ。禁欲的な展示方法で社会主義時代の記念碑を広大な敷地に配置し、歴史から学ぶことを促すこの公園は、政治的な記念碑をどのように保存するべきかというひとつの答えを提示している。

2010年02月21日

◆ベールイ博物館

昨日のブログで触れたクチノについて。

アンドレイ・ベールイの原稿や独特の絵画作品を展示するアルバート通りのベールイ博物館は必見で,アルバート界隈に林立するプーシキン博物館やスクリャービン博物館とともにぜひ訪れたい場所だが,モスクワ県のクチノにも,作家の晩年の孤独を偲ばせるささやかな博物館がある。) 

作家にまつわる資料も少なく,快適な二階建ての小さな家屋は,田舎のダーチャ(ロシアの山荘)に来たようでもあるが,各部屋をまわっていると,ベールイと晩年を共にしたクラウジヤ・ブガーエワが回想記に記した当時の生活が甦ってくる。なにより,クチノの寂しい自然が,ベールイの晩年の作品につながっている。

クチノの訪問記はこちら

2010年02月20日

◆記念碑

「世界中の好きな場所に好きな記念碑をひとつだけ建てられるとしたら、どこに何を造りますか?」という書き出しで始まるロシア語の記事を書き、編集者に送る。

プーシキンなら、私は自分の不滅の詩によって、記念碑を建てたというだろう。

日本贔屓の詩人ウラジーミル・ゲルツィクは、私の質問に答えて、「ぼくはもうこんな記念碑を建てたよ」と、まさに「記念碑」というタイトルの詩のリンクを送ってくれた。プーシキンの有名な詩のパロディで、

私は自分の記念碑を建てた。詩人の気まぐれだ
私は自分の記念碑を建てた。それが今流行だから。
私は自分の記念碑を建てた。そうする必要があった……

という具合に延々と続いていく。(ロシア語原文のリンクはこちら

私なら、作家アンドレイ・ベールイが苦い晩年を過ごしたクチノの森の奥の、わざわざ訪ねていかなければ誰の目にも触れない場所に、作家の胸像を置きたい。 彼が幼年時代を過ごした華やかなアルバート通りにではなく。

記念碑はしばしば、人々の悲しみや苛立ちを招き、諍いを引き起こすものでもあるから、願わくは、その記念碑に「会いたい」と思ってその場を訪れる人の目にだけ触れるような、そんな人知れぬ場所に記念碑を立てたいものだ。あらゆる政治的な、あるいは醜い記念碑へのアンチテーゼとして。

2009年06月06日

◆ロシア語ブログ

BBC.Russianのサイトに連載中のロシア語エッセー 「ロシア社会の100の規則と1000の例外」が更新された。今回のエッセーは,ロシア社会における「自由度」について。

社会全般の傾向について軽々に論じるのはつつしむべきだが,ロシアでは,規則や決まりがあっても,すぐに自分に都合の良い例外を探そうとする場面にしばしば出会う。決まり事を,交渉やその他諸々の手段によって人々がカスタマイズする社会には,長所もあればもちろん短所もある。人々が同じ権利を持ち,同じ待遇を受けるという公平性はつねに危機にさらされているし,何事も交渉次第というのはおそろしく体力を消耗する社会だ。ただ,法律違反などとは無関係の場面についていうならば,あらゆる道を自分で作っていくのが前提である社会やライフスタイルは,人間的といえばきわめて人間的でもある。そんなことについてとりとめもなく書いてみた。

今までの連載はこちら。

1 「忘れえぬ人々
2 「愉快なエクスカーション
3 「外国人はロシアでなにを探しているか」 
4 「日本のチェブラーシカ・ブーム
5 「レジでの友情

2009年01月12日

◆外国人のロシア冒険

BBC Russian comのサイトで,「外国人のロシア冒険」欄の2回目の担当が回ってきた。

今回の記事のタイトルは,「愉快なエクスカーション」。

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ロシアで日帰りや一泊のエクスカーションに参加して驚いたのは,建築や都市の歴史に関するガイドの説明が,とても詳しく,専門的で,参加者も時にはメモをとりながら熱心に聞き入っていることだった。

行き帰りのバスの中はもちろん,現地に着いてもガイドの詳しい説明は続き,作家の邸宅博物館や聖堂の入り口に立ち尽くしたまま,20分以上も解説を聞くことも珍しくない。様々な場所に移動する度に,それが何度もくりかえされる。エクスカーションの最後には,街を散策するための自由時間もあり,充実した一日を過ごせる。

BBCのサイトでは,読者がブログに自由にコメントを残せる。ロシアやイスラエル,ドイツなど各国のロシア人のコメントを読むと,ロシアのガイドがプロフェッショナルだというのは,やはり一般的な認識らしい。

そういえば,夏休みともなると,母親と中学生くらいの物静かな息子が,二人でエクスカーションに参加している微笑ましい光景もよく見かけた。ロシアのお母さんもなかなか教育熱心だ。


写真:2003年,ロストフ

2008年12月09日

◆BBCロシア・ブログ

BBC Russian comのサイトで,「外国人のロシア冒険」欄の担当を始めた。各国のブロガーと一緒に,外国人の目から見たロシアの生活,文化をロシア語で紹介していく。

私の初回の記事は,「ロシアで会った忘れえぬ人々」。
ロシアでは,路上や店などで偶然一緒に居合わせた人たちとのあいだで,それから先もずっと忘れられないような会話をすることが,日本にいる時よりも頻繁に起こる気がする。

今回の記事では,ある吹雪の夜にモスクワ郊外の路上で,天使のようにどこからともなく現れて去っていった不思議な老人との出会いと,夏の夕暮れの警察で酔っぱらっていた気さくな警官との会話について書いてみた。

記事は,今後不定期に更新していく予定。

2008年02月11日

◆イリヤ・カバコフ『世界図鑑』絵本と原画

小雪の舞った2月9日,「イリヤ・カバコフ『世界図鑑』絵本と原画」展の初日のため,世田谷美術館へ行く。展覧会開催にあわせ,雑誌『Dear』3月号(2月12日発売)に,カバコフ展の短い紹介を書いた。

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ソ連時代,生計を立てるために100冊余りの絵本の挿絵を手がけたカバコフ。作家の長年の「絵本体験」は,その後の創作にも様々なレベルで受けつがれた。たとえば,ミュンスター(ドイツ)に設置された彫刻<空を見上げて>は,草の上に寝そべった観客が空を背景にして文字を読むという「自然の中の絵本」の形式である。「いとしい人よ,草に寝ころんで,空を見上げよう……」というテクストを読んで実行した観客は,自分自身も「絵本」の登場人物に変身する。緑にかこまれた平和なひとときを堪能させる作品だが,彫刻の上に広がる空は,戦場で倒れた兵士がふと空を見上げて世界の雄大さに気づくというトルストイの『戦争と平和』の有名なエピソードを想起させる。
 
カバコフのこのアンテナは,10年に1度開催されるミュンスター彫刻プロジェクトの参加作品として制作された。この野外彫刻プロジェクトでは,作家たちは2年前から現地を訪問して,ミュンスターのどの場所にどんな作品を設置するかを企画し,場と作品の共生,生活とアートの関係を模索する。

2007年夏に行った第4回ミュンスター彫刻プロジェクトでは,作品と場との関係,そして観客との関係を観察するのが,予想以上に刺激的だった。会期中のミュンスターは,様々なストーリーが同時多発的に起こる巨大な絵本のような空間であり,観客は皆,登場人物である。私が演じたのは,町から一番遠いパヴェウ・アルトハメルの作品の近くでレンタサイクルをパンクさせ,川沿いの道を延々と歩くという役回りだったのだが……。

写真:イリヤ・カバコフ <空を見上げて> 1997 (2007年撮影)

2008年01月12日

◆広島

広島市現代美術館に,イリヤ・カバコフ絵本展が巡回したので,先月,レクチャーのために広島に行った。広島には10年余住んでいたが,1989年に開館した同美術館に行くのは初めて。今まで,色々な面白い展覧会を見逃してしまった。建物は黒川紀章による設計であり,特徴的な半円形の展示室がある。ゆるやかな弧を描いて一面に絵本が並んでいる展示を見ると,ソ連時代を見渡しているような気にとらわれる。

夕方,閉館1時間前にひろしま美術館に駆けこみ,常設展を見た。フランス印象派のコレクションとしては日本屈指といわれる美術館で,本館の閉じた円形の空間には,瞑想的,音楽的な空気が漂う。私にとって「美術館」の原型のようなものがあるとすれば,数え切れないくらい通ったこの場所である。

久しぶりなので,小学校時代を過ごした海辺の町まで足をのばし,町をぶらぶら散策した。冬の朝,近所の公園には子供の姿はなく,動物の形をした遊具は,昔と同じように欠けていた。

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2007年11月19日

◆プラハ・コミュニズム博物館

過去とどう向き合い,共産主義時代をどのように「記憶」するか。旧ソ連・東欧にある共産主義関連の博物館をいくつかまわった。

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ソ連崩壊直後,熱狂のうちに撤去されたスターリンやレーニン像は,モスクワの新トレチャコフ美術館(中央芸術家会館)脇の空地にしばらく放置されていた。だが,写真家イーゴリ・ムーヒンが,過去の象徴として写したそれらの苔むしたオブジェは,数年後には,新しい台座とプレートを与えられて,体制懐古的な彫刻公園に立ち並んでいた。

一方,同様に社会主義時代の彫刻を集めた,ブダペスト郊外の広大な彫刻公園は,「笑いながら過去と別れよう!」という観光客向けの派手な広告とは裏腹に,遠ざかっていく社会主義時代を展望する一つの歴史的な視座を提供している。

プラハ中心部にあるコミュニズム博物館も,「現代のコミュニズム博物館は,なんとマクドナルドとカジノのまん中にあります!」という広告こそ奇抜だが,展示と解説はきわめて真面目であり,夏のプラハというお祭り騒ぎの中心地で,少なからぬ参観者が長い解説を熟読していたのにも驚かされた。

教育,日常生活などのセクションを通じて社会主義をなかばノスタルジックに再現した前半部。プロパガンダ,社会主義リアリズム,恐怖政治ですら,ユーモアをまじえて描きだした後半部。この博物館は,ソ連の歴史を俯瞰したカバコフのインスタレーション《赤い車輌》にも似て,アイロニーとポップな感覚に貫かれている。

それだけに,どんな皮肉も冗談も持たない,民主化運動の展示室がいっそう際立つ。1969年1月19日,ソ連侵攻に抵抗してカレル大学の大学生ヤン・パラフが焼身自殺したヴァーツラフ広場は,この博物館のすぐそばにある。

写真:プラハ・コミュニズム博物館

2007年09月29日

◆カバコフ 赤い車輌

神奈川県立近代美術館葉山で開催中のイリヤ・カバコフの絵本展の準備をしていた時,カバコフのインスタレーション<赤い車輌>の構成を予感させるアイデアが,初期の絵本にもすでにあったことを知って,一刻も早くこの作品を見たくなった。

10年以上前から,写真とテクストだけを手がかりに想像をふくらませてきたこの作品を,この夏,やっと見ることができた。<赤い車輌>は,フランクフルトから電車で40分の温泉町ヴィースバーデンの美術館で常設展示されている。

カバコフが1991年に制作した立体作品<赤い車輌>は,ソ連の歴史をアイロニカルに概観している。3部構成のこの作品は,空へ続く階段,車輌,車輌後部のゴミ捨て場から成り,各部はそれぞれ,未来への希望に満ちたソ連初期,1934年から1963年までの「スターリン・ソヴィエトの永遠の楽園」の時代,凋落の時代を表現しているという。

実際に作品を見ると,車輌の前部を覆っている「空へ続く階段」は,未来へ続く階段という前向きのイメージではなく,未来を信じてのぼってはみたものの,階段は宙で途切れていて行き場を失うという,足元をすくわれるような喪失感を呼びおこす。カバコフの後期のインスタレーション<プロジェクト宮殿>の<天使に出会う>という作品の構図にも似ている。

車輌の中に入ると,予想よりも幅が広く,アレクサンドル・ブロークの戯曲に出てくるロシアの場末の見せ物小屋の雰囲気が漂っていた。それでいて,薄闇の中でソ連の楽園画が浮かびあがる室内は,心地よい郷愁を感じさせ,どうにも外へ出たくなくなる。カバコフの作品には,クローゼットに閉じこもる男の話がよく出てくるが,<赤い車輌>の閉じた世界も,それらのクローゼットに通じている。

ヴィースバーデン美術館は,今後カバコフの常設展を充実させていくとのこと。<プロジェクト宮殿>が常設されているエッセンと並んで,カバコフを知るためのいっそう重要な場所となるだろう。

写真:ヴィースバーデン美術館外観

ヴィースバーデン美術館
Friedrich-Ebert-Allee 2, 65185 Wiesbaden, Germany
(ロシアからドイツに移住し,ヴィースバーデンで没した画家アレクセイ・フォン・ヤヴレンスキー(1864-1941)のコレクションも充実している。)

2007年09月25日

◆プラハ・ビエンナーレ

チェコとスロヴァキアの唯一のビエンナーレとして,2003年以降,中欧からアートを発信する意義を問い続けているプラハビエンナーレ。第3回となる今回のテーマは,「グローカルとアウトサイダーたち 中欧で世界を結ぶ」であり,チェコ,スロヴァキア,ハンガリーなど中東欧の作家が数多く選ばれた。

難民問題を扱ったチェコの若手写真家カテリーナ・ドルシコヴァーら,現代作家のセクションに加えて,「チェコのミニマリズム」や「東欧のキネティック・アート」など,東欧と世界の連動性を示したセクションも工夫されている。

調査から1ヶ月たった今でも,ふとしたきっかけで鮮明に思いだすのは,イラン出身の映像作家シリン・ネシャットの感覚的な映像作品だ。ネシャットは,第6回ヒロシマ賞を受賞し,広島市現代美術館で紹介された他,金沢でも展示されたことがある。プラハ・ビエンナーレの詳しい展評は,『美術手帖』10月号で。

写真:プラハ・ビエンナーレ会場 カルリーン・ホール

2006年09月18日

◆滝/初秋

下田での合宿の帰り道に寄った河津七滝(かわづななだる)で,10数年前のこの季節にも滝を見たことを思いだした。

waterfall

就職活動を始める前に旅行しようと友達と花巻へ行った時のこと。
夕方,宮沢賢治ゆかりの「イギリス海岸」で川面を見ていると,コスモス畑のあいだの一本道を,土木会社のトラックが近づいてきた。中から,母と同じくらいの歳の女性が出てきて,私たちがどこへ泊まる予定なのか尋ね,「これから徒歩で移動するのは大変だから」と気遣って,ユースホステルまで送ってくださるという。「せっかくだから花巻温泉にも入っていくといい」と言って,遠回りをして日帰り温泉と釜淵の滝にも連れていってくださった。

寡黙な方だったが,運転しながらこんなことを話された。友達の代理で土木会社で3日だけ働くつもりが,そのままもう10数年も働いていて,その間に数学を勉強して,作業に必要な資格もとったこと。「勉強はとても大事」という言葉が,翌日になって宮沢賢治記念館でチェロやエスペラント語のノートを見ているあいだも頭を離れなくて,結局,就職活動をやめて大学院でロシア文学を専攻することになった。
賢治の「月夜のでんしんばしら」の水彩画を見ると,あの時トラックのヘッドライトが照らしていた真っ暗な道が目に浮かぶ。

2006年09月17日

◆海/斜線

南伊豆の海。フランシスコ・インファンテなら,この場所でどんなインスタレーションを作るだろう。

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2006年09月16日

◆下田の月

合宿で伊豆へ。満月の夜。

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2006年09月07日

◆夜の向日葵

先日,(ポップアート1960's→2000's リキテンスタイン,ウォーホルから最新の若手まで)展を見に,損保ジャパン東郷青児美術館に行って,常設コーナーでゴッホの《ひまわり》を見て気がついた。
今年は,本物のひまわりを一度も見なかった。どこにでも咲いている白粉花を見かけたのも,数回だけ。

rostov.jpg

花と縁遠い夏だったけれど,電車の窓から花火を見たことも思いだした。富山から東京へ向かう電車で,2つの花火大会の会場を通り抜けたこと。

はくたか号の隣りの席に疲れた顔で身をうずめて,一人で次々に缶ビールを空けていた女性も,暗い窓に顔を映しながらずっと花火を見ていた。

Photo: 2003年夏 ロストフの黄色い花

2006年08月31日

◆夜,電車の中で

京都市太秦の広隆寺に安置されている弥勒菩薩半跏思惟像--右手の指を頬にあてて物思いにふけるあの有名な彫像--の絵葉書をいただいた。それを見て,15年以上前に,ある美術家から聞いた話を思いだした。

「ある夜,ぼくの友人が電車に乗っていた。そして電車の座席で揺られていると,とつぜん,世界のみんなが幸せになればいいという強い思いがわきおこってきたという。理由はわからないけれど,突然そういう気持ちになったらしい。そして,ふと前を見ると,向かいのガラスに自分の顔が映っていて,それが広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像にそっくりだったって。だからかれは,ああ,あの彫像のアルカイック・スマイルは,世界の幸福を願う顔なんだなあと実感したらしい」

その話を聞く前からこの彫像が好きだったが,それから何度も広隆寺へ行った。
ロシアでお世話になった先生を,この冬,日本へお招きできることになったので,ぜひ京都にもお連れして,彫像の話をしてみたい。

2006年08月27日

◆イーゴリ

ロングアイランドでの仕事が終わった夕方,画家夫妻の知人のイーゴリがマンハッタンまで私たちを送ってくれた。

manhattan.jpg

それまで私たち3人は数日間イーゴリの家に泊って,毎朝毎夕スクールバスに乗って規則正しく学校に通う子供さながら,イーゴリの車で仕事場に通っていた。あまりに近いので途中にスーパーもなく,数日間1缶のビールも飲まなかったこともそれなりに残念だったが,時差ぼけと興奮で連日1-3時間しか寝ていなかったので,アルコール抜きだったのはむしろ幸運だったかもしれない。むしろ,せっかく泊めてくれているイーゴリと話す時間がないのが惜しまれた。

でも,ニューヨークへの2時間の帰り道,イーゴリと話をした。
イーゴリは3年前にニューヨークに来るまで,リトアニアのカウナスで音楽家をしていた。単身アメリカに移住して,どうにか生活の基盤ができて妻子を呼び寄せたのは,やっと1年前。この夏は家族だけがリトアニアに里帰りして,イーゴリは土曜も働いている。

「私はまだモスクワにいた時に,今の職の公募をインターネットで見つけて,突然仕事が決まって,予定をきりあげて帰国して,縁のなかった町に引っ越してきたの。でも,知らない町といっても日本は日本だった。あなたの奥さんは,あなたがアメリカで仕事を見つけて家族で移住することについてどう思ったの?」

「妻は,カウナスの銀行で良い仕事についていた。だから最初は難色を示したよ。でもリトアニアでは職業上の可能性が本当に低いんだ。ぼくは,芸術にかかわり海外に行くことも多い今の仕事に満足してる。大事なのは,どこで暮らすかじゃない。仕事を見つけることだ」

「娘さん二人は,数年後に高校を卒業したらどうすると言っているの?」
「上の子は,語学が得意だから通訳になればいいと思ってるよ。下の子は内向的だからどうなるかな」

イーゴリと何を話しても,彼の話題はいつも,どう仕事を見つけるかということに移っていった。

「今,アメリカでも工場がどんどん外国に移転してる。だから,商店で働くか,それともエリートになって会社で働くかしか選択肢がなくなってきてるんだ。昔は,工場で働くっていう選択肢があったのに。たしかにコストの安い外国に工場を移せば,物はちょっとばかり安くなるさ。でも,それがどんなに大きい問題をひきおこすかってことが,この国ではまだ分かってないんだ」

イーゴリは,「ぼくはマンハッタンはよく知らないんだけど」と言いながら,最終日だけ泊ることになっていたホテルに送ってくれる途中,五番街やブロードウェーを車で案内してくれた。私のニューヨークは,イーゴリの車から見た20分間のパノラマだけだ。

移民の孤独を描いたウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』の後半が,なぜロード・ムービー仕立てなのか,その時分かったような気がした。車のガラスは,私達と町を厚く隔てていた。余所者にも惜しまず美しい顔を見せる町,それを壁の中から見ていた私たち。

2006年08月26日

◆グリーシャ

先週,ニューヨークを訪れた時のこと。

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空港に迎えにきていたリムジンの運転手さんは,流暢に英語を話すけれど母語ではなさそうだし,グレゴリーという名前なので,ひょっとしてロシア人かもしれないと思ったとたん,かかってきた携帯電話にむかって突然ロシア語で話しだした。

「ロシア語を話されるんですね?」
「日本人はよく乗せるけど,ロシア語を話す人は初めてだ!」

それから目的地に着くまでの1時間半のあいだ,グリーシャは助手席に座る私の顔をのぞきこむようにして車を激しく左右に揺らしながら,身の上話を語りつづけた。
「ぼくたちもう,ヴィ(あなた)じゃなくて,ティ(きみ)で話そうじゃないか」と言われた後は,いっそう話も車も加速した。

15,6年前にソ連時代のキエフからヨーロッパを経てアメリカにたどりついた時,412ドルしかなかったこと,1993年にキエフから母親を呼び寄せた時,母親が「何を持って行けば良いか」というので,「服はこちらで買えばいいから,昔ぼくが集めたポスターのコレクションを持ってきて」と頼んだこと。でも,スカートひとつ買うにも途方もない苦労をしてきた母親には,アメリカでは洋服が簡単に手に入ることがどうしても理解できなかった。

お母さんがアメリカにやってくると,グリーシャはすぐにスーパーに連れて行った。食品,下着,靴,コート…… なんでも一カ所で簡単に買える光景を目の当たりにしたお母さんは,カルチャー・ショックを受けて泣き出してしまった。店員やお客さんが心配して近づいてきても,お母さんはずっと泣いていた。

それから10数年。グリーシャはリムジンの仕事で成功し,息子は弁護士,娘は図書館のロシア語部門の司書をしている。無から今の生活を築いたことを誇りながらも,「子供たちにはこの仕事をさせたくなかったんだ」と話した時,彼の目に雲がかかったようだった。

グリーシャは,仕事はもっぱら英語を使い,家族や友人とはロシア語で話している。
「家族や友人とふだん話す話題は限られているから,君とこうしてロシア語を話していると,自分でもとっても不思議なんだよ。分かる? たとえばぼく,今,『視野が広がる』って言ったでしょ? こんな「文学的」なロシア語,もう何年も使ったことがなかった。ぼくはまだこんな言葉も覚えていたんだなあ」と言いながら,グリーシャは,日常生活では使わない言葉をロシア語で次々と言い続けた。

ロングアイランドへ向かう長い高速道路の旅は,グリーシャが自分の記憶とルーツをたどる旅になっていた。あの日,その旅に立ち会ったのが,私の初めてのアメリカ体験だ。

2006年08月17日

◆富山・現代ロシア美術展

昨夜,富山から帰宅。

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南栃市福野文化創造センターの〈モスクワ美術展〉と富山県立近代美術館の〈種の起源:ロシアの現代美術 私たちは生き残ることができるのか〉を調査したが,二展とも,現代ロシア美術を代表する作家を集めた刺激的な展覧会で,会場に足を踏み入れると,実際にモスクワに来たような錯覚すら覚えた。作品と展示が生み出すオーラが,非日常的な磁場を形成している。夏にロシアに行かないのは8年ぶりだが,富山で3日間ロシアの空気に浸れたのは幸せだった。

それに,富山では色々な方にお世話になり,仕事で行ったのにお盆に郷里に帰ったような楽しさで,すっかり富山のファンになった。行動範囲の狭さ,限られた対象にしか興味を持たない生活――こうした私の毎日が漠然と作りあげてきた日本についてのイメージすら,今回の体験で変わるくらい。

Photo:富山駅ホーム 2006.8.16

2006年08月12日

◆韓国8-リンク集

今回,ソウル行きにあたって便利だったサイト・ミニリンク集。

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・ホテル予約
直前に出発が決まって,インターネットでホテルを慌てて探したところ,格安で予約できるI HOTELというサイトを見つけた。2,3週間前から直前割引もある。

・航空券
チケットは,アドバンストラベルという会社を見つけて予約した。会社のサイトで空席情報が調べられるのと低価格なので。

韓国観光公社公式サイト
韓国基本情報など。

ソウルナビ
ホテルの情報や,レストランのクーポン付。

写真:ソウル遠景

2006年08月11日

◆韓国7-伝統茶院

柚子茶,梅茶,五味子茶…… 韓国では,甘くて力のつきそうな果実茶をたくさん見つけた。

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これは,仁寺洞(インサドン)の〈伝統茶院〉でいただいた五味子茶(夏バージョン)。五味子は,甘口, 酸味, 辛さ, 塩味, 苦みの5つの味を楽しめることが名前の由来らしい。今年の夏は,健康な飲み物を工夫してのりきるぞ!

伝統茶院
ソウル市鍾路区寛勲洞30-1 耕仁美術館内
電話:02-730-6305

2006年08月10日

◆韓国6-河回仮面

韓国の民衆仮面劇で使われた河回仮面を買おうとして仁寺洞(インサドン)でお店を探した。
11,12世紀頃に作られた河回仮面のオリジナルはソウルの国立中央博物館にあるが,そのレプリカは代表的な韓国土産になっている。

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なかなか気に入った仮面がなかったが,偶然入った〈芸木〉という小店の仮面は味わいがあった。芸術家である店主さんのセンスをいかした店は,画廊のような落ち着きと,芸術に寄せる愛着が感じられる。

河回仮面には,もともとは人間の仮面12個と動物の仮面2個があったが,そのうち3つが紛失してしまい,現在は11個が保存されている。上の仮面は,両班(ヤンバン)=貴族で,おおらかな表情だが,笑顔は,ほらふき,狡猾のしるしでもあるらしい。

ほかに,学者(ソンビ),僧(チュン),芸妓(プネ),老婆(ハルミ)などの仮面がある。この不気味な面はなんだろうと思ったら,学者の顔だった。勉強しすぎで目が飛び出ているだけでなく,俗世に適応できずに、つねに不満に満ちた表情をして,なおかつ傲慢であるとのこと。往事の仮面劇は諷刺にみちた民衆の世界観を反映していたが,たしかに一面の真理をついているかも。

芸木
住所:ソウル市 鍾路区仁寺洞156
電話:02-733-7320
地下鉄3号線安国駅から徒歩8分。仁寺洞のメインストリート沿い。安国駅から歩いてショッピングビル「サムジーキル」が左手にみえたら,さらに250mほど歩くと右手1階にある。

2006年08月09日

◆韓国5-北村

どんな都市にも,今と昔のコントラストがとりわけあざやかな面白い場所がある。

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ソウルの地下鉄安国(アングッ)駅北側の北村(プッチョン)とよばれる地区には,古い韓屋,形は同じでも新しい素材を使った新築の韓屋,洋風住宅,アパート,マンションがまじりあう一帯がある。夏休みのこどもたちが集まる駄菓子屋やおもちゃ屋のたたずまいが懐かしい。

あまりに暑いので,商店街の小さな店に寄って冷たいものを買った。昼下がりに店の片隅でおじいさんが店番をして,雑多な食品が少しずつ並んでいる小さな店。自分の住む町では昔ながらのこんな店をあまり見かけないが,旅先ではいつも昔にタイムスリップする。

2006年08月08日

◆韓国4-現代美術館

ソウルの国立現代美術館は,地下鉄〈ソウル大公園〉駅から,なだらかな丘の道を歩くこと20分,見晴らしのいい丘の中腹にある。

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やっとたどりつくと出迎えてくれるのは,ジョナサン・ボロフスキーの巨大彫刻《シンギングマン》。アルミの巨人の口がぱくぱく動くと,ホルンのような低い歌声がもれ出て,高原の空気を静かに震わせる。この作品は,初台のオペラシティの中庭にもある。のどかに歌うこの巨人は,世界中にちらばった仲間たちと歌で交信しているような風情だ。

現代美術館で開催中の《韓国美術100年 第2部》は,「伝統,人間,芸術,現実」というテーマを通じて,1960年から現在までの韓国現代美術を俯瞰する画期的な展覧会。各時代を代表する作品約300点と資料によって,韓国の美術,社会,生活の変化を見渡すことができる。アヴァンギャルド,プロレタリアート美術,新聞を用いたソッツ・アート的な作品などみごたえがあり,もう一度ゆっくり見てみたい。いつか日本に巡回するだろうか。

現代美術100年(2部)-伝統・人間・芸術・現実
100 Years of Korea- Tradition, Human, Art, Reality
国立現代美術館
2006年6月2日(金)-9月10日(日)

2006年08月06日

◆韓国2-素心

ソウル行きの飛行機で隣あわせた韓国人のおじさんは,東京でやっている韓国料理店の材料の買いつけをしにいくとのことで,韓国料理について色々な話をしてくれた。

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「牛より豚の焼肉がおすすめ」,「ゴマの葉を日本で育てても,土が違うので,2年目からはシソのような味になってしまう」,「韓国の餃子もおいしい」,「鶏料理サムゲタンは,日本の土用の丑のウナギのような位置づけで,夏バテ防止」など,どれも面白い話ばかり。そして,「小皿料理がテーブルいっぱいに並ぶ韓定食を食べるといい」とすすめてくださったので,さっそく行ってみた。

仁寺洞(インサドン)入口の菜食韓定食店〈素心〉は,地下にある居心地のいい店で,キムチ,ナムル,古代米,納豆汁,焼魚,梅茶などどれもおいしく,柔らかい味。ソウルに住んでいたら,美味しい料理とおばさんの笑顔にひかれて通ってしまいそう。韓国語で「美味しい」は,「マシッソヨ!」。どうしたら,鯖をあんなにマシッソヨに焼けるのかな。


素心(ソシム)
電話: 02-734-4388
アクセス: 地下鉄3号線「安国駅」6番出口を出て仁寺洞方面に。各種ガイドブックにもお店の地図がある。

2006年08月05日

◆韓国1-明洞2街

8月に入って数日間ソウルへ行った。

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手頃で交通の便が良いホテルを探したら,明洞(ミョンドン)に泊ることになった。ここは,若者たちが夜遅くまで,ショッピングや屋台めぐりを楽しむ町。日本なら,さしずめ渋谷や新宿紀伊国屋の裏通りといったところ。

でも,表通りから偶然迷いこんだ明洞2街は,中国のお茶やお菓子の小店,書店がひしめきあい,華僑学校の赤い壁がエキゾチックな異次元空間だった。別名,旧中国大使館通り,あるいはソウルの中国街。ソウル中央郵便局と漢城華僑学校のあいだの200メートルばかりの短い路地は暗褐色に輝いて,若者文化の街のなかで独特の魅力をたたえている。

夜も更けていたが,どうやら近くの店の飼い犬らしいおとなしい犬が路上でつながれていて,通りかかったおじさんが嬉しそうに話しかけていた。毎晩,家への帰り道でこの犬に会うのが,幸せな日課とでもいうように。

2005年02月27日

◆島へ

会議と入試の合間に北と南に出張に行き,日本の細長さを体感した月だった。札幌では北海道大学スラブ研究センターの研究会で発表し,報告を聞き,色々な方の意見を伺って勉強になった。久しぶりに友人たちと再会できたのも楽しく,札幌の雪の白さに心洗われるような気がした。

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翌々日は気温差20度近い宮古島へ。そこからさらに船で伊良部島や大神島にも渡った。各地に残る湧水や御嶽(霊所)は,土地の記憶を感じさせる。言語と風俗調査のため1920年代に宮古島に3度来島したロシアの言語学者ニコライ・ネフスキー(1892-1937)も,きっと同じ場所に立ったにちがいない。ネフスキーは官費留学生として来日し,柳田国男や折口信夫と親交を結び,日本語,フォークロア研究で大きな成果をおさめてソ連帰国後はレニングラード大学などで教鞭をとったが,1937年にスパイ容疑で逮捕,粛清されてしまう(57年に名誉回復)。語学の天才で,現地に入って数日後には土地の言葉で話して周囲を驚かせたという。

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島の自然もさることながら,夕食をとるために通った平良市の繁華街の外れの仄暗い佇まいが,言い表しがたい郷愁を誘った。昔,ある絵本で見て以来,ずっと求めていたものに初めて出会った気がする。それは日本各地の古い商店のイラストを集めた字のない絵本で,当時子供心に不思議な懐かしさを感じたものだった。気になって調べてみたら,福音館書店《こどものとも》シリーズの絵本『おみせ』(五十嵐豊子作)で,1980年に刊行されたとのこと。25年たっても記憶から色あせない傑作だったが,今は絶版になっている。同著者の『えんにち』も字のない絵本で,こちらもイラストレーションの空気感がすばらしい。

2005年01月04日

◆台湾の旅

昨年の後半はほとんど休みが取れなかったので,急に思い立って休暇中に数日台北に行った。見るものすべてが新鮮だったし,たくさんの人が町で話しかけてきてくれた。その中には,昔日本軍に従軍させられて日本語を話すおじいさんもいて,駅からの道順を親切に教えてくれた。

長距離バスの運転手さんは,渋滞や信号でバスが止まる度に窓ガラスを拭き,ハンドルを磨き,切符を数え,髪まで梳かして,車庫に着いたらすぐ降りられるように一時も手を止めずに情熱的に作業していたが,その計算しつくされた工程はまさにプロフェッショナルな技で,仕事をするとはこういうことなのだと頭が下がった。2日間だけガイドさんと一緒に観光したが,2人のガイドさんが自己紹介の後に「私はこの仕事が好きです。今日は皆さんに楽しんでいってほしいと思います」と言ったことには,はっとさせられた。教育の目的は楽しませることではないが,教師もガイドも人に接する仕事という点では同じ。ガイドさんはこの仕事が好きというオーラを発していた。複数の語学に堪能なだけでなく,名所,交通,店など都市のあらゆるパーツを掌握して臨機応変に仕事をこなしていく様も啓発的だった。

映画《非情城市》のロケ地として有名な九イ分の風情ある坂道や,台北の色鮮やかな寺院とそこで熱心に祈る人々,故宮博物館の展示にも強い印象を受けた。普通の住宅街や路地の彩り,茶芸館(喫茶店)のゆったりした時間も素晴らしかった。台湾の友人がすすめてくれた基隆の夜市や花蓮の峡谷は予想以上だったし,台北から地下鉄で行ける淡水の落ち着いた文教地区は,移住したくなるほど素敵だった。

ちなみに台北のサントスホテル(三徳大飯店)は,この価格帯の別のホテルとは比べものにならないほど部屋も広く清潔で,交通の便が良く,朝食も充実しているし,なによりサービスがとても良い。台北に泊まるなら本当におすすめ。

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(写真は上から,龍山寺,太魯閣峡谷,九イ分,孔子廟,同,台北のビル)

2004年07月12日

◆蔵王で

先週末,蔵王にトレッキングに出かけた。ドッコ沼やいろは沼をめぐる散策路や山頂に続く登山道では,二日ともほとんど誰にも会うことがなく,大自然の静けさを満喫した。鳥海山や月山を遠く臨む里では,この風景を見ながら暮らすためなら毎日同じ畑を耕せるだろうか,と考えた。

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心身ともに疲れている時には何時間もゆっくり歩き続けるのが良い,とロシア人の友人が教えてくれたのは,三年前の七月だった。奨学金も終り,将来のあてもなく,体調を崩した出口のない日々だったが,詩人で心理学者である彼女は,モスクワ郊外のダーチャ(山小屋)に半病人の私を執拗に誘ってくれ,夕暮れの森や広大な野原,昔の貴族の邸宅の廃園,アンドレイ・タルコフスキーの映画を思い出させるような水草の浮かぶ小川をめぐる長い散歩につれだしてくれた。山小屋の庭に古いテーブルセットを出して,もぎたてのトマトやキュウリを時間をかけて細かくきざんだサラダをいっしょに作った。今思えば,それは詩人であると同時にセラピストとして働いている彼女が,知識と友情を注いで行ってくれた療法だった。

それ以来,疲れが溜ると旅に出て山や野を歩くけれど,あの時のロシアの野のように美しくもの哀しい風景には出会ったことがない。

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