◆植物と時代と
先月、黒い枝と白梅が夕日を背に浮かびあがる小さな梅園のそばを通りかかり、ゴッホが歌川広重作「名所江戸百景 亀戸梅屋鋪」を模写した「花咲く梅の木」(1887)を思いだした。でも、その冬の澄んだ夕空は、ゴッホの濃厚なマチエールよりも、広重の透明感により近かったような気がする。
東京の郊外の、もとは広かった梅園に今ではまばゆい大型のドラックストアが建ち、その裏手にひっそり十本ばかり梅が残っているのは、それでもなんともいえない武蔵野の風情だ。
先日ふたたび、やはり夕暮れ時にそのそばを通りかかると、梅は盛りを過ぎていたが、予期せぬことに、梅の根をなでるように一面にスミレが花開いていた。夕べに見るスミレの群生がこれほど幻想的なものだとは知らなかった。10年ほど前、北国の明るい夕べに、モスクワのエルミタージュ庭園で、名前の分からない青い花の茂みの写真を撮りつづけた夜があったが、その時と同じように、ふと、ロシア象徴主義のアレクサンドル・ブロークのスミレの詩を読みかえしたくなる。
先月、神代植物公園で、ヒスイカズラという勾玉のような形の青緑色の花を見た。
ヒスイカズラと、ある種の柳も、私にはなぜか、20世紀初頭ロシアの「銀の時代」の文化を連想させる。柳は、当時の「芸術世界」派の絵画に実際に描かれているし、その優美で繊細な線もあの時代の詩にふさわしい。熱帯植物のヒスイカズラはロシア「銀の時代」とはなんの関係もないけれど、世紀末的なその色彩と形状は、ビアズリーやミハイル・ヴルーベリの世界を彷彿させる。
ロシアの文学研究者を何人か日本に招いた際、かれらはしばしば、路傍の木や花の名前を尋ね、私や学生がそれを知らないことに心底驚いていた。「毎日見ている木の名前をなぜ知らないのか」と。
それから数年経った今も、私の植物の知識はほとんど増えていない、というか皆無に近いが、子供といつも同じ道を、それこそもう百回近く散歩するうちに、その時々の植物に以前より興味を覚えるようになった。(なにしろ、道はいつも同じだし、子供に話しかけようにも、いつしか眠ってしまうのだから。)
同じ道を毎日散歩していると、草木の勢いや日ざしの強さのかすかな違いを肌で感じるようになる。通学路や通勤時には感じたことのない感覚だ。
八月には、地元の小学校の裏の木陰で、昨日よりも濃い葉の色と強い日光を見上げた。一月には、変哲もない郊外の町のあちこちで、意外なほど多くの人が水仙を好んでいることを知った。
休業期間も終わり、幸福でもあるが時にはやや苦行のようでもあった、千日回峰行めいた日々は遠くなってしまったが、草木へのゆるやかな興味はその後も続いている。木や花に自分を重ねたロシアの詩人たち詩を読む時に、その感覚がいつか役立つだろうか。
フィンセント・ファン・ゴッホ「花咲く梅の木」(1887)


