2010年03月05日
2010年02月17日
◆グリシコヴェツ「夜明けに」
数日前、東京で建築を学ぶロシアの友人が訪ねてきて、偶然、今わたしが夢中なグリシコヴェツの話を始めたので、会話が一気に熱を帯びる。
先日紹介したエヴゲーニイ・グリシコヴェツは、歌手としても活躍していて、彼の歌う「夜明けに」の映像と歌詞が、ロシア文化や社会の情報を伝えるすてきなサイトOBERIUのページで紹介されている。リンクはこちら。
今日、2月17日は、グリシコヴェツの43歳の誕生日。
2010年02月16日
◆ゼムフィーラとリトヴィーノワ
昨日の記事で紹介したレナータ・リトヴィーノワは、ロシアの人気歌手ゼムフィーラが2007年に発表した歌のミュージッククリップにも出演している。曲名は、「私たちは散り散りになる」。詩的な韻を踏む言葉を並べることで、連想を翼のように、あるいは横滑りしていく車のように、悲しく滑らかに広げながら、絶望的な愛を歌っている。
リトヴィーノワは、ミュージッククリップの監督も担当。リトヴィーノワは2005年から2007年にかけて、ゼムフィーラの他の歌のミュージッククリップの監督も務めている。今回の作品は、モスクワにあるロシアの自動車メーカー〈ジル〉の工場の廃屋で、2007年8月に撮影された。
リトヴィーノワはこの映像を「愛の絡んだスパイ映画」だと語る。「短編映画」の中で、謎めいたヒロインは、おそらく彼女も一員だった組織の命令で死を宣告され、かつて愛しあっていた殺し屋の手で殺されることを選ぶ。彼女の死後、殺し屋は、殺害の命令は誤った情報にもとづいていたことを知る。ミュージッククリップと歌詞の内容はまったく違っているが、悲劇的な愛というテーマを共有している。
2006年06月28日
◆テルミン
レフ・テルミンについての映画を見た。1920年に世界初の電子楽器を発明したロシアの科学者についてのドキュメンタリーである。スティーヴン・マーティン監督『テルミン』,1993年,アメリカ映画。

発明者の名前にちなんで名づけられた楽器テルミンは,2本のアンテナのあいだの電磁場にかざした手の動きによって演奏される。電子楽器というと人工的なイメージが先立つが,微妙な音の揺らぎは,鯨の歌や虫の声などむしろ生物の音にも近い。
国家の開発と電化を目標としたソ連では,「電気による楽器」はまさに新時代にふさわしい音楽として一時期関心を集めたが,アメリカ生活の長かったテルミンはやがてスパイ容疑で逮捕され,収容所で不遇の時代を過ごすことになる。
映画は,レフ・テルミンを慕う人々,この楽器に魅せられたミュージシャンたちによる回想によって,テルミンの生涯をたどる。そのなかには,ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンなどの著名人もいれば無名に終わった人もいるが,挫折を経てなおテルミンや音楽にかけた夢を熱く回想するかれらの言葉や表情が,映画全体を郷愁で包みこんでいく。
そのうちの一人であるクララ・ロックモアは,レフ・テルミンの長年の友人で,テルミンの代表的な演奏者だった。ロシア革命を逃れてアメリカにやってきた亡命ロシア人であるロックモアは,映画全編を通じてテルミンについて,威厳をこめた英語で語りつづける。だが映画の最後で,アメリカで久々にレフ・テルミンと再会するやいなや,言語が少し訛りのあるロシア語に突然切り替わる。亡命者としての横顔をあらわにするその姿は無防備で,古い夢に満ちたこの映画のなかでももっとも感動的な場面である。
2006年06月15日
◆カッレイネンの歌
「バーミンガムは変わってしまった。今のバーミンガムはもう好きじゃない。昔はもっと良かった。」
「どうしてビールがこんなに高いのか。なんでもっと高い給料を払ってくれないのか。以前は人生は良いものだった。喉が乾いた。」
これは,3月に取材したヘルシンキの美術展に出展されていた作品の一節である。

フィンランドのアーティスト,テッレルヴォ・カッレイネン&オリヴァー・コフタ=カッレイネンの《バーミンガムの最初の不平合唱団》(2005)は,日々の不満を明るく合唱で歌いあげる痛快な映像作品である。
日頃ためこんでいる不満を軽快なリズムにのせて「訴える」人々の顔が,ユーモアの光で内側から照らされてなんとも気持ちよさそうである。音楽で社会にコミットしていくというよりも,訴えても何も変わらない状況のなかで,もう歌でも歌うしかないというある種の潔さが楽しい。日本版も作ってほしい。
Tellervo Kalleinen&Oliver Kochta-Kalleinen
The 1st Complaints Choir of Birmingham
2005
DVD, 8 min.
