2010年07月29日

◆ロマシコヴォの蒸気機関車

オープンキャンパスの模擬授業(ロシアのアニメーションについて)の準備をしていた時、youtubeで懐かしい映像を見かけた。「ロマシコヴォの蒸気機関車」(1967, Vladimir Degtyarev)というアニメーション。夢見がちな小さな蒸気機関車が、線路から抜けだして野原でスズランを集めたり、鳥の声に聞き惚れるという物語で、青い機関車の表情がとても愛らしい。

このアニメーションの脚本を書いた一人が、非公式詩人としても活動していたゲンリフ・サプギールだった。サプギールらは、このアニメーションの歌の歌詞も書いている。以前、NHKラジオの「ロシア語講座応用編」の最終回でも、この歌を紹介したことがある。幸福な旅立ちの歌。

ПЕСЕНКА ПАРОВОЗИКА

Поле большое, зеленый лесок,
Сколько весною путей и дорог!

Хорошо на свете! Солнышко, свети,
Пожелай нам, ветер, доброго пути!
Доброго, доброго, доброго пути,
Самого, самого доброго пути!

Все интересно - на что ни взгляни,
Дружная песня над миром звенит!

Хорошо на свете! Солнышко, свети,
Пожелай нам, ветер, доброго пути!
Доброго, доброго, доброго пути,
Самого, самого доброго пути!


蒸気機関車の歌

野は広く 森はみどり
春には なんてたくさんの 道があり旅があるのだろう

この世はすばらしい! お日さまよ 照らして
風よ ぼくらの旅の無事を 祈っておくれ
そう このすばらしい旅の
そう このすばらしい旅の無事を

何を見ても なにもかもが おもしろい
この世界に 歌がむつまじく 鳴りわたっている

この世はすばらしい! お日さまよ 照らして
風よ ぼくらの旅の無事を 祈っておくれ
そう このすばらしい旅の
そう このすばらしい旅の無事を

2010年07月03日

◆宮崎アニメの翻訳の諸問題

ロシアで公開された宮崎駿のアニメーションの『ゲド戦記』以降のほぼすべての作品の翻訳を担当してきたアンナ・パーニナ氏が、千葉大でレクチャーをしてくださった。

レクチャーは、日本の固有名詞をロシア語に訳す場合の工夫についての話から始まった。「ポニョ」はそのまま訳すと、ロシア語の「馬」に響きが似ているし、「ナウシカ」は、綴りによっては「髭」や「耳」という単語を連想させてしまう。綴りや格変化も考えながら、登場人物の人物造型にぴったりで、なおかつ原語になるべく近い音を探すことになる。

代名詞の翻訳も悩みどころで、ロシア語の二人称代名詞には、敬称の「あなた(vy)」と、親しい間柄で用いる「きみ( ty)」があるが、「vy」を使うことを奨励したピョートル大帝の時代からまだ300年ほどしか経っておらず、「vy」には近代的なニュアンスがあるので、「風の谷」の村人の会話では「きみ( ty)」のみを使い、近代文明との対比を強調したという。

学生も、日頃から親しんでいる宮崎アニメを題材としたレクチャーに関心を持ち、パーニナさんの流暢な日本語と日本に関する知識にも刺激を受けたようだった。

数年前、村上春樹に関しては、17カ国、23人の翻訳者、出版者、作家が集うシンポジウムが開かれたことがあり、その内容は『世界は村上春樹をどう読むか』(文藝春秋、2006年)に掲載されているが、これほど世界で広く受容されている宮崎アニメについても、同様のシンポジウムが開催されれば興味深いだろうと思う。

2010年04月15日

◆東洋語からの翻訳

4月10日のブログでとりあげた詩人ウラジーミル・ゲルツィクの、中国や日本の書画骨董であふれたアパートは、ある映画の舞台に似ていた。
1970年代からアニメーション作家として活躍してきたニーナ・ショーリナ監督が、1999年に制作した最初の実写映画『東洋語からの翻訳』のヒロインの自宅である。

ショーリナの実験的な映画のヒロインは、日本古典文学の翻訳家である中年のロシア人女性で、東洋の文物で埋めつくされた薄暗い自宅にこもり、周囲の世界と完全に断絶して、日本詩歌の世界に生きている。夫は夫で、ドイツ音楽の世界に埋没し、二人はほとんど言葉さえかわさない。かれらは、ロシアから一歩も出ないまま、精神的な「内的亡命」を経て、いわば別世界に暮らしている。

屋外のショットはほぼすべてモノクロで、自宅だけがカラーで映されるのも、家の内部がかれらにとって意味をもつ唯一の世界であるからだ。映画の最後に、妻の手から蝶が飛びたっていく儚げな場面があるが、それは、現実から浮遊して生きる彼女のメタファーのようでもあれば、生きた屍のような日々を送る彼女の「魂の喪失」を意味しているようでもある。

いずれにせよ、晴れた日の雪のように明るいゲルツィクの俳句やアパートとは違い、映画のなかの「内的亡命」の世界には、底無しの寂寥感があった。

この映画を撮影するにあたって、ショーリナは、『源氏物語』をロシア語に全訳した日本文学者のタチヤナ・デリューシナに取材を行ったが、映画のストーリーは完全なフィクションである。
とはいえ、ロシアやリトアニアで日本美術に没頭している40、50代の女性の学芸員に会うと、ふとこの映画を思いだし、ソ連時代に彼女たちがなにを求めて遠い日本の古い美術を専攻したのか、想像をかきたてられた。

たとえば、この映画の試写会の日に誘ってくれた50代の友人は、生涯独身を守って、年老いた母親とアパートで暮らしながら、日本美術の研究に身を捧げていた。彼女は自分が勤める美術館のお茶の時間にしばしば招いてくれたが、浮世絵に書かれた文字を指でなぞりながら解読しているとき、あるいは、日本美術の展覧会の基調色に、日本で高貴な色とされていた紫を使うことにしたと嬉しそうに話すとき、彼女はいつも明るく幸せそうだった。

それだけに、彼女と同じように東洋に魅せられたヒロインの生活を、薄暗い室内を中心にどこか寂しげに描いたこの映画が、彼女の心を傷つけるのではないかと、映画の上映中もとなりの様子が気がかりでならなかった。

でもそれは杞憂だったようで、映画が終わったとき、彼女は、同志を見つけたとでもいうような晴れ晴れとした顔をしていた。彼女の目には、荒涼とした空間のなかに潜んでいる幸福が見えているようだった。

2010年02月16日

◆ゼムフィーラとリトヴィーノワ

昨日の記事で紹介したレナータ・リトヴィーノワは、ロシアの人気歌手ゼムフィーラが2007年に発表した歌のミュージッククリップにも出演している。曲名は、「私たちは散り散りになる」。詩的な韻を踏む言葉を並べることで、連想を翼のように、あるいは横滑りしていく車のように、悲しく滑らかに広げながら、絶望的な愛を歌っている。

リトヴィーノワは、ミュージッククリップの監督も担当。リトヴィーノワは2005年から2007年にかけて、ゼムフィーラの他の歌のミュージッククリップの監督も務めている。今回の作品は、モスクワにあるロシアの自動車メーカー〈ジル〉の工場の廃屋で、2007年8月に撮影された。

リトヴィーノワはこの映像を「愛の絡んだスパイ映画」だと語る。「短編映画」の中で、謎めいたヒロインは、おそらく彼女も一員だった組織の命令で死を宣告され、かつて愛しあっていた殺し屋の手で殺されることを選ぶ。彼女の死後、殺し屋は、殺害の命令は誤った情報にもとづいていたことを知る。ミュージッククリップと歌詞の内容はまったく違っているが、悲劇的な愛というテーマを共有している。

2008年12月27日

◆12人の怒れる男

遅ればせながら,先日,ニキータ・ミハルコフ監督の『12人の怒れる男』(2007年,ロシア)を見た。その名の通り,シドニー・ルメット監督の『十二人の怒れる男』(1957年,アメリカ)のリメイクである。

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両親をチェチェン戦争で亡くした少年が,義父であるロシア軍将校を殺害した罪に問われて裁判にかけられ,12人の陪審員達に少年の運命が委ねられる。たった1人の陪審員を除いて,最初は,皆が少年は有罪だと確信していたが,議論を重ね,殺害現場を再現するうちに,1人また1人と意見を翻していくというストーリーは,ルメットの原作と同じである。もっとも,それぞれの陪審員が,事件との連想で思い出した自分の過去や体験を,ドストエフスキーの登場人物さながらの長広舌で語るところは,きわめてロシア的だ。監督自身が演じる1人の陪審員の発言によって,事態が急展開するラストの数分にも,原作とは違う驚きがある。

プーチン体制下の新生ロシアで,国民に「強き良きロシア」への愛国心をかきたてる『シベリアの理髪師』を制作した「ミハルコフらしさ」は,この映画でも存分に発揮されている。『12人の怒れる男』に登場するロシア人将校達は,誰もが,非現実的なまでにチェチェン人への友愛の念に貫かれているのだ。

だが,陪審員制度は日本人にとってはタイムリーな話題とはいえ,なぜ今ロシアで『十二人の怒れる男』のリメイクなのか。

ちょうど今週,2000年にチェチェン人の18歳の少女エリザ・クンガーエワを強姦して殺害し,チェチェンの民間人を殺害した罪で初めて有罪判決を受けたロシア軍大佐であるユーリー・ブダーノフが,10年の刑期を終える前に釈放されるというニュースが報じられた。ブダーノフ裁判は,精神喪失状態にあった被告に責任能力はないという鑑定が出され,有罪判決を下した裁判官が弾圧されるなど混乱を極め,アムネスティから批判を受けるなど,当時内外の注目を集めた。「チェチェン」,「ロシア軍大佐」,「裁判」と聞けば,今でもロシアでは誰もがブダーノフ裁判を想起するだろう。そうした暗い現実を隠蔽するためにこそ,ミハルコフは,チェチェンと裁判を扱った作品を作るにあたって,ハリウッド映画のリメイクという大がかりな装置を必要としたのかもしれない。

2008年04月03日

◆芸術新潮4月号

芸術新潮』4月号は,「創刊700号記念大特集」である。世界のヴィーナス100選を選んだ大特集(木島俊介,青柳正規,小池寿子)は読みごたえがある。この記事を片手に,世界のヴィーナスを訪ねる旅,あるいは,ここでは選ばれなかった自分だけのヴィーナス像を探す旅に出られたら,どんなにいいだろう。

フィンランドでカフェを開いた日本女性の淡い日常を描いた映画『かもめ食堂』には,主人公の他にも,世界を放浪する日本女性達が登場する。そのうちの1人は,目を閉じて地図を指したらヘルシンキだったのでやってきたという。それも一興だが,この特集を読んだ後では,ヴィーナスを訪ね歩く旅に出てみたい。(『かもめ食堂』の主人公のように,1億円の宝くじが当たればの話)

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小特集「パリの個人美術館へ行こう」(いしいしんじ)では,藤田嗣治の室内画の世界にそのまま通じる彼の旧居に関心を覚えた。4月6日まで世田谷美術館で開催中の「イリヤ・カバコフ『世界図鑑』-絵本と原画-」の記事も掲載されている。

2008年03月21日

◆善き人のためのソナタ

『善き人のためのソナタ』(Das Leben der Anderen,監督:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク,2006年ドイツ)を見る。本作は,1984年の東ベルリンを舞台に,シュタージ(国家保安省)の諜報員ヴィースラーの体験を描き,第79回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した。

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出世と保身をもくろむ同僚とは一線を画し,国家への忠誠心から職務を遂行するヴィースラー(ウルリッヒ・ミューエ)は,反体制の疑いのある戯曲家ドライマン(セバスチャン・コッホ)とその恋人クリスタ(マルティナ・ゲデック)の監視を行ううちに,今まで信じてきた主義や国家に疑問を抱きはじめる。

映画に登場する「被疑者の体臭のコレクション」や秘密警察のアーカイヴから,愛読書である河合純枝『地下のベルリン』(文藝春秋,1998年)を連想した。収容所,核シェルター,資料庫など,ベルリンの地下の建造物から20世紀ドイツ史を見つめた名著である。同様の視点からモスクワとソ連史について語ることもできるのではないかと考えている。

Photo: Kobal/SonyPicturesClassics/TheKobalCollection/WireImage.com

2008年03月05日

◆クジラの島の少女

捕鯨問題が取りざたされる今日この頃,『クジラの島の少女』(Whale Rider 監督:ニキ・カーロ,2002年)を見た。

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ニュージーランドの海辺の過疎の村。マオリ族の族長コロは,遠い祖先であるクジラ乗りの勇者パイケアの再来を信じ,村を再興する男子の誕生を待ち望んでいた。コロの長男に双子が生まれるが,男の子は母を道連れに死に,女の子が残され,父は娘をパイケアと名づける。孫娘の誕生に無関心だったコロも,やがて賢い少女に育った彼女に愛情を覚えるようになるが,部族の後継者は男であるという主義に固執し,部族の再生に身を捧げようとするパイケアを拒絶する……

男尊女卑の因習に縛られ,無気力が蔓延するマオリの村を,マオリ人の女性監督が描きだしたこの映画は,局地的であると同時に普遍的でもある。悲壮なまでの責任感で世界を救おうとする少女を主人公にした,西洋の民話や日本のアニメーションにも通じる神話的な構造においても,会社やロシアの農村などあらゆる共同体に通底する危機を見据えたという現代的な意味においても,この作品のニュージーランドの遠い海は,観客それぞれの身近な岸辺につながっている。 

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