2010年04月22日

◆ジョゼフ・コーネル×高橋睦郎

川村記念美術館で「ジョゼフ・コーネル×高橋睦郎 箱宇宙を讃えて」展を見る。

1903年にニューヨーク郊外に生まれ、家計を支えるために17歳で布地のセールスマンとして働きはじめたコーネルは、20代の終わりから、コラージュやオブジェを作りはじめ、33歳からは木箱にお気に入りの物を詰めこんだ作品を制作した。

暗室のような小さな展示室で、ライトをあてられたコーネルの全16点の作品と、それに寄せた高橋睦郎の詩だけが星となって浮かびあがるという意向の本展では、観客も夜空の旅人となる。

展示室の暗闇は、コーネルが晩年までひっそりと暮らした、ニューヨーク郊外の小さな家の地下室のアトリエにつながっている。

2010年04月15日

◆東洋語からの翻訳

4月10日のブログでとりあげた詩人ウラジーミル・ゲルツィクの、中国や日本の書画骨董であふれたアパートは、ある映画の舞台に似ていた。
1970年代からアニメーション作家として活躍してきたニーナ・ショーリナ監督が、1999年に制作した最初の実写映画『東洋語からの翻訳』のヒロインの自宅である。

ショーリナの実験的な映画のヒロインは、日本古典文学の翻訳家である中年のロシア人女性で、東洋の文物で埋めつくされた薄暗い自宅にこもり、周囲の世界と完全に断絶して、日本詩歌の世界に生きている。夫は夫で、ドイツ音楽の世界に埋没し、二人はほとんど言葉さえかわさない。かれらは、ロシアから一歩も出ないまま、精神的な「内的亡命」を経て、いわば別世界に暮らしている。

屋外のショットはほぼすべてモノクロで、自宅だけがカラーで映されるのも、家の内部がかれらにとって意味をもつ唯一の世界であるからだ。映画の最後に、妻の手から蝶が飛びたっていく儚げな場面があるが、それは、現実から浮遊して生きる彼女のメタファーのようでもあれば、生きた屍のような日々を送る彼女の「魂の喪失」を意味しているようでもある。

いずれにせよ、晴れた日の雪のように明るいゲルツィクの俳句やアパートとは違い、映画のなかの「内的亡命」の世界には、底無しの寂寥感があった。

この映画を撮影するにあたって、ショーリナは、『源氏物語』をロシア語に全訳した日本文学者のタチヤナ・デリューシナに取材を行ったが、映画のストーリーは完全なフィクションである。
とはいえ、ロシアやリトアニアで日本美術に没頭している40、50代の女性の学芸員に会うと、ふとこの映画を思いだし、ソ連時代に彼女たちがなにを求めて遠い日本の古い美術を専攻したのか、想像をかきたてられた。

たとえば、この映画の試写会の日に誘ってくれた50代の友人は、生涯独身を守って、年老いた母親とアパートで暮らしながら、日本美術の研究に身を捧げていた。彼女は自分が勤める美術館のお茶の時間にしばしば招いてくれたが、浮世絵に書かれた文字を指でなぞりながら解読しているとき、あるいは、日本美術の展覧会の基調色に、日本で高貴な色とされていた紫を使うことにしたと嬉しそうに話すとき、彼女はいつも明るく幸せそうだった。

それだけに、彼女と同じように東洋に魅せられたヒロインの生活を、薄暗い室内を中心にどこか寂しげに描いたこの映画が、彼女の心を傷つけるのではないかと、映画の上映中もとなりの様子が気がかりでならなかった。

でもそれは杞憂だったようで、映画が終わったとき、彼女は、同志を見つけたとでもいうような晴れ晴れとした顔をしていた。彼女の目には、荒涼とした空間のなかに潜んでいる幸福が見えているようだった。

2010年04月10日

◆ウラジーミル・ゲルツィクの俳句

新年度の最初の一週間、授業の準備や教務の仕事、保育園の送り迎えの合間に、1946年生まれの詩人ウラジーミル・ゲルツィクの俳句を読み、数編を訳す。

物理学者として研究所で働きながら、60年代から詩を書きつづけてきたゲルツィクは、ロシアの著名な日本文学翻訳家のヴェーラ・マルコワの翻訳で芭蕉に出会い、近年では禅と禅文化の熱狂的な信奉者となって、千以上の俳句を書いてきた。

遅々として訪れない悟りへの憧れを詠んだのか、「枝の向こうには 見通しのきかない深い蒼」という、どこか種田山頭火を思わせる句もあれば、「芽はいまだ膨らまず 空気はあたかも緑色」という、季節のひそやかな移り変わりを捉えた叙情的な句もある。「大地に触れもせで 雪のかけらはゆっくり東へ飛んでいく」という句は、東洋の文化に魅入られ、その世界のなかで生きているゲルツィクの魂を詠んだ句にも思える。 

ゲルツィクとはじめて出会ったのは、1999年の冬だった。モスクワのはずれのアカデミーチェスカヤ駅に降り立ち、都心とはちがい雪かきされずにスケートリンクのようになった複雑な道を歩いて、地元の小さな公立図書館を訪れた夜のことだ。
今はアメリカに移住したロシア文化研究者のミハイル・エプシュテインが,この図書館の一室を借りて文学会「イメージと思索」を始めた1986年以来、今にいたるまで、ここでは数々の詩の朗読会がひらかれてきた。そして朗読会が終わると、図書館のすぐそばにあるゲルツィクの家に時々集まっては、文学や美術について語りあうというのが、常連たちの習慣らしかった。

アパートの薄暗い踊り場をとおって、ゲルツィクのアパートに一歩足をふみいれると、そこは東洋の空間だった。まるで中国の観光地の土産物屋のように、壁一面が東洋の書画骨董でうめつくされた彼のアパートは、しかし、すべての物があるべき場所に収まっているという感じで、不思議な調和に満ちていた。部屋全体がかれの作品だといってもよかった。

モスクワの一角にこんな部屋があることにたいする驚きは、詩人の俳句を見せてもらった時に、別の驚きに変わった。絵と俳句を組みあわせた、山水画にも似たゲルツィクの作品は、彼の部屋と同様に、東洋の洗礼を受けた個性的なヴィジュアル・ポエトリーをかたちづくっていた。

ゲルツィクの俳句は彼のサイトでも紹介されている。

2010年04月08日

◆台湾版「大きなかぶ」

ロシア民話「大きなかぶ」は日本でも教科書や絵本などで広く受容されてきて、そこにはさまざまな歴史や物語がある。今回、他国での「大きなかぶ」の受容にも、興味深いケースがあることを知った。

元留学生だった台湾の友人が、先月来日し、台湾版の「大きなかぶ」の絵本を持ってきてくれた。台湾東部の花蓮の山岳を想起させるような挿絵の面白さもさることながら、ストーリーがオリジナルと大きく異なっている。

おじいさんがかぶを引っ張っても抜けないのは、地面の下でモグラがかぶを反対に引っ張っているからだという設定で、楽しい綱引きの場面が展開されていく。
おじいさんがおばあさんを呼んでくれば、モグラはヘビを呼んできて、おばあさんが孫娘を呼べば、ヘビはウサギを呼んでくる。こんな具合に双方大勢でかぶを引っ張り合い、最後にかぶは二つに裂けて、地上ではおじいさんたちがかぶのスープに舌鼓を打ち、地下では動物たちがかぶのパイを食べるという話。

絵本のテクストは中国語だが、付属のCDには中国語と英語の朗読が収められている。"Everyone, Pull"という題の英語版もある。出版元の和英文化(Heryin Books)は他にもユニークな児童書を出版している。

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2010年04月04日

◆ロシアの復活祭

今年は4月4日がロシアの復活祭。
作家エヴゲーニイ・グリシコヴェツのブログで、復活祭についての記事を読む。
ソ連時代にも、新年の賑わいの影に隠れたクリスマスとは違って、復活祭を祝う習慣は廃れなかったことについて。卵に絵を描くという牧歌的な喜びについて。今年、久々に自宅で復活祭を迎えられるというグリシコヴェツは、「復活祭は子供たちと一緒に祝うべきだし、あるいはすくなくともこの日は自分自身が子供のようであるべきだ」と書いている。

近所に住むロシアの友人が、さっき突然、復活祭の飾り付けをした卵を持って来てくれた。そういえば去年は、私の方が卵を届けたのに、新学期の雑事や保育園のことで頭が一杯で、あっという間に今日になってしまった。友人のおかげで、やっと春が訪れた気がする。

Светлая Пасха
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Больше из подборки открыток «Пасха» на Яндекс.Открытках  カードに写っているのは、ロシアの復活祭の伝統的な料理。左がパスハ(カッテージチーズ味)。右奥のケーキがクリーチ。

2010年04月03日

◆ミヤマガラスが飛んできた

ロシア語の教科書の会話文のストーリーを考えていて、ふと、アレクセイ・サヴラーソフやイサアク・レヴィタンなど、ロシアの古典的な名画の世界が懐かしくなる。
たとえば、こんな寒い春の日にふさわしいのは、ロシアへの留学中、不思議なほど心惹かれたサヴラーソフの「ミヤマガラスが飛んできた」(1871)。ロシアでは、ミヤマガラスは春の訪れを告げる鳥。

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サヴラーソフには、「冬の風景」(1880)という、あまりにもロシア的な作品もある。まだ見たことのない、サマーラ美術館所蔵のこの作品を、なぜか急に見に行きたくなる。

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