◆シャガールと木の葉
谷川俊太郎の『シャガールと木の葉』を1年ぶりに読み返し、やはり今回も、「この今--栗原知子さんの詩集に寄せて」という詩の次の1節が心に残った。
雨があがって物音が静まった
道を歩く人が携帯で話す声が聞こえる
こんな夜にも誰かがどこかで詩を書いている
(中略)
心から心へ触れていく文字の指先
歴史が決してとらえることの出来ないこの今
誰かがどこかで詩を書いている たった一人で
ロシアではソ連時代に、体制の支持を得られなかった詩人や作家が、掃除夫や夜警をしながら詩を書いていた時代があった。
体制や時代が変わった今も、ほとんどの詩人が詩で食べていけるはずもなく、私の知人の詩人たちは、出版社などで夜警をしながら詩を書いている。ゲルマン・ルコムニコフ、ニコライ・ミレシュキン、そして、すでにこの世を去ったドミートリイ・アヴァリアーニ。
夜警の詰め所の薄暗い小部屋で、彼らは今も夜半に独りで詩を書いているのだろうか。
彼らがどこかで無心に詩を書いていることは、この世界にとって、あるいはすくなくとも私にとっては、救いであるように思える。かれらが詩を書くという行為は、紛争が続く国の修道院で、あるいは平和な飽食の国の山中の庵で、あるいは都会の雑踏のただ中で頭を垂れる、修道士や修行僧の祈りに通じている。

谷川俊太郎 『シャガールと木の葉』 集英社 2005年
