◆モスクワでの事件を受けて
今朝,モスクワの地下鉄2駅で,連続テロの可能性のある爆発があり,少なくとも37人が亡くなった。
留学中,いつも心の底にあった,爆破事件とそれに伴って高まる人種差別への不安が甦る。
当時の爆破事件について以前書きかけた拙文の一部を転載してみる。
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1999年9月1日の朝,前日とはうってかわって冷えこんだモスクワを騒然とさせたのは,前夜起こった都心の地下ショッピング・モールでの爆破事件だった。死者1名,負傷者40名を出したその爆破事件が起こった数時間後に,用事で都心に出かけ,あたり一面に警官が立ち,騒然としている現場を目の当たりにした。
9月4日には,ロシア南部のダゲスタンで軍人用住居に乗りいれたトラックが爆発し,64人が死亡し130人が負傷,つづく9月9日,13日には,モスクワのアパートが連続爆破され,213名が亡くなるという非常事態が起こった。
9月16日にはロストフ県ヴォルゴドンスクのアパートが爆破され,17人が死亡,72人が負傷した。
ある昼下がりに,モスクワ中心部にあるロシア人文大学の事務室で,つけっぱなしのラジオから,アパート爆破事件の続報が伝えられたときのことはよく覚えている。それまでつとめて明るくふるまっていた人びとがいっせいに口を閉ざし,窓辺に植木鉢のならんだロシアらしいなごやかな部屋は,急に暗くかげりを帯びたようだった。そして,9月23日,一連の事件をチェチェンのテロリストの仕業とみなしたロシア政府は,チェチェンの首都グロズヌイの無差別爆撃を開始し,たった3年の「停戦」ののちに,第二次チェチェン戦争がはじまった。
町の空気は一気に重苦しくなり,一般市民の心情は,終わりのない暗い坂道を降りていくように下向きになっていった。
その一方で,戦争など我関せずという顔をした人々が,モスクワの中心部であいかわらずにぎやかな生活を続けていた。学生食堂の列に並びながら,見知らぬ学生たちの会話に耳を傾けて,その脳天気さに耳を疑ったのもこの頃が最初だった。学歴,将来,結婚,人間関係もすべて金次第という,ロシア崩壊後に勃興したニューリッチの考え方に染まった一部の人々にとっては,戦争も爆破事件も別世界の出来事であるようだった。経済力があれば徴兵も免れることができるし,いつ爆破されるか分からない地下鉄や,警備が手薄な一般のアパートに出入りすることもないからだ。
その秋,モスクワ郊外の村の文学会館で開かれた学会に出かけて,帰り道で立ち往生したことがある。一連の爆破事件と戦争開始を受けて,モスクワ市に入る道路すべてで検問が強化されたので,森を切り開いて作られた一本道の幹線道路は夜中になってもラッシュアワー以上の大混雑で,路線バスのなかで夜を明かすことになるかと思われた。
隣りあわせた60代くらいの女性は,苛立ちを抑えきれずに,「この国では今,戦争が起こっているのよ! そう,戦争が! なぜ,みんな戦争に無関心なの?」と叫びだしたが,お互いの顔も分からないほど照明を落とした車内でまばらに座っていた人々は,誰も答えようとしなかった。
彼女はその後,わたしにむかって,何時間もソ連時代の思い出を語りつづけた。「ソ連時代はこんなことはなかった。今は生活が苦しいけれど,ソ連時代にはどんなレストランにだって行けたわ。豪華な前菜,スープ,メインディッシュ,それにデザートと紅茶。わたしは,赤の広場の近くのレストランで,アイスクリームを食べるのが好きだったのよ。夢みたいに大きいアイスクリームだったわ……」。
そして時々,思い出話をとぎれさせ,「早く帰らないと,夜,外にいたら殺される」とつぶやいた。
そのころ,真っ昼間のモスクワでも,恐怖で顔をひきつらせた80代くらいの小柄な女性に,「一人で歩いていると殺されるから,そこまで一緒に歩いてほしい」と頼まれたことがあった。彼女たちの目は,もはや現実の世界ではなく,連日の事件への恐怖と生活苦のせいで増幅した妄想の世界を見ていたが,その地獄絵こそが彼女たちにとっての現実なのだった。
当時わたしは,ペレストロイカ後に「新しい民主主義社会にふさわしい教育を」という理念で創立されたロシア人文大学に留学したばかりで,新しい生活に希望も持っていたが,暗いニュースは片時も頭を離れなかった。
移民や留学生にとって気がかりなのは,爆破事件や戦争だけでなく,その結果として必然的に高まってくる他民族排他主義である。たとえ確実な証拠がなくても,爆破事件の首謀者はチェチェンのテロリストらしいとメディアが伝えれば,一部の人びとは,恐怖心やフラストレーションのはけ口を,他民族排斥に求めるようになる。
有色人種への暴行や殺害のニュースをしばしば耳にするようになり,町ですれちがいざまに「国に帰れ」と罵声を浴びせかけられるうちに,体の芯に重い疲れがたまってきたちょうどそのころ,知られざる世界の「扉」は偶然ひらいた。現代ロシア文化の生きた世界に続く扉。それは,創作の熱気と,詩や絵に喜びや慰めを見いだす気どらない人びとに出会える場所に続く道だった。
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堀江敏幸 『郊外へ』 白水Uブックス
フィンセント・ファン・ゴッホ「花咲くアーモンドの枝」(1890)
フィンセント・ファン・ゴッホ「花咲く梅の木」(1887)
