◆日本のゴーギャン 田中一村伝
先日,初めて千葉市花の美術館に出かけ,冬の温室の屋根を突き破るように天へ伸びていく樹木を見て,フセヴォロト・ガルシンの短編小説「アッタレーア・プリンケプス」を思い出した。快適な「牢獄」を逃れて自由を手に入れるために,温室のガラスの天井を痛みをこらえて突き破った棕櫚の木は,やっと覗いた外界の味気なさに失望し,冷気に打たれて枯死してしまう。この小説でガルシンが展開したガラスと鉄でできた「牢獄」のイメージは,アンドレイ・ベールイが精神病院を描いた詩にも受け継がれている。
花の美術館の温室は,熱気のなかで濃厚な花の香りが幾筋もの流れとなって渦巻いているようで,魅力的な小世界だった。南方の珍しい花々を見て,昨年読んだ『日本のゴーギャン 田中一村伝』(南日本新聞社)を想起した。
1908年(明治41年)に栃木県下都賀郡に生まれ,18歳で東京美術学校(現東京芸大)日本画科に入学するも,結核の再発や父の病気でわずか3ヶ月で中退し,赤貧のうちに独学で画業をつづけ,「信じる絵の道に集中」するために50歳で奄美大島に渡った孤高の画家,一村。
「絵は,一年,二年と集中的にかかないといいものはできないんです。途中で売り絵をかくと,緊張が途切れてしまい,元の水準の絵がかけなくなることがあるんです」,「絵かきは,わがまま勝手に描くところに,絵かきの値打ちがあるので,もしお客様の鼻息をうかがって描くようになったときは,それは生活の為の奴隷に転落したものと信じます。勝手気ままに描いたものが,偶然にも見る人の気持ちと一致することも稀にはある。それでよろしいかと思います。その為に絵かきが生活に窮したとしても致し方ないことでしょう。」
そう語って,千葉寺の家を売り払い,退路を断って奄美に移住した一村は,紬工場で働いて生活費を貯めては,創作に没頭するという日々を繰り返す。69歳で心不全で逝去。奄美の植物や鳥を大胆な日本画に昇華させた彼の作品が収められている,奄美大島の田中一村記念美術館をいつかぜひ見に行きたい。
田中一村「アダンの木」昭和48年ごろ
