◆グリシコヴェツ『シャツ』
エヴゲーニー・グリシコヴェツの小説『シャツ』を読了。2004年のロシアの大ベストセラー。こんなに面白いなら、もっと早く読むべきだった。
主人公のサーシャは、地方出身で今はモスクワに暮らす、三十路で離婚歴のある建築家。物語は、故郷から旧友のマックスが彼を訪ねてくる日の朝に始まり、その翌朝、さまざまな冒険に翻弄された徹夜明けの主人公がようやく眠りにつく場面で終わる。これは、絶望的な恋や、仕事、友達、数々のトラブルによってシャツのようにもみくちゃにされた、疲れはてた男の一日の物語だ。
主人公の一人称で、人間味あふれるタクシードライバーたち、建設現場の職人、バーテンダーやウェートレスとのつかのまの出会いが語られていく。叙述のテンポは軽快で、本を開くだけで、夜7時にロシアのどこかの町で生きの良い小劇場に足を踏み入れたような胸の高鳴りと、めくるめく時間を体験できる。小説のいくつかの箇所では、戯曲のスタイルがそのまま引用されているが、劇作家、俳優でもあるグリシコヴェツらしさが発揮されているのは、むしろ、読者=観客の笑いを誘う絶妙な言い回しが、これまた絶妙な間隔で配置されていることだ。3分に1回は劇場のホールに笑いの波が広がる――そんな小説である。
主人公は、モスクワの非人間的な渋滞に巻き込まれて、苛立ちながら、時に風変わりな夢想に身を委ねながら、いつもどこかへ疾走している。自分が何を求めているのか知らないまま、ここではないどこかへ向かって。小説の表紙の絵が、大通りを埋めつくす車の列であるのも、偶然ではない。モスクワから一歩も出ずに右往左往する主人公を描いていても、この小説は基本的にロードムービーなのだ。現代のロシアの首都を舞台にした、平凡な男の非凡なオデュッセイア。
モスクワの風景や、モスクワへの述懐をちりばめたこの本の隠れた主人公は、モスクワという町自体でもあるかのように思えてくる。だがやはり、主人公はあくまで、1枚の白いシャツのように無力であると同時にかろやかな人間たちだ。彼らは染みがつき、よれよれになり、汚れや匂いを吸いこんでいても、時に白く輝き、自由な風に翻る。

Evgenij Grishkovets. Rubashka. 2004.(未訳)
グリシコヴェツ公式HPはこちら(ロシア語)
