2010年02月08日

◆千葉県立美術館

2月初めの曇り空の日、千葉県立美術館のアート・セレクション展を見に行く。第1室は「アート・セレクション「コレクション50」より」、第2室は「浅井忠・フォンタネージとバルビゾン派」、第3室は「モノクロームの版画」、所蔵の彫刻を展示したコーナーもある。

茨城県に生まれ、黒田清輝の指導を受け、水彩画家として初めて日本芸術院会員になった小堀進(1904-1975)の「逆光」(1974)を見て、なぜかとても懐かしい気持ちになる。水彩でのびやかに描かれた海を見ると、子供時代を過ごした昭和ののどかな瀬戸内海を反射的に思いだす。技法が喚起する記憶があることを実感する。

海辺の美術館はあまり人気もなく、前庭では、白い梅の木が、厚い灰色の空に黒々した枝を突き上げていた。

2010年02月07日

◆プロジェクト宮殿書評:沼野充義氏

2月7日毎日新聞朝刊に、沼野充義氏によるイリヤ&エミリア・カバコフ『プロジェクト宮殿』書評が掲載された。

「いったいこの本は真面目なのか、冗談なのか。どちらとも決めかねて本を読み進めると、結局、真面目と冗談が交錯しているのは、この本の内容が様々な形で映し出している人間の欲望、そしてその欲望に突き動かされてきた人類の歴史そのものではないか、という気がしてくる。」

とても素敵で刺激的な書評。この作品の総体的な意味が、歴史的、文化的コンテクストのなかで浮かび上がってくる。
書評のリンクはこちら

2010年02月06日

◆リヒター的風景

3週間ぶりの雨が約束されていたその日、千葉から幕張に向かう海浜大通りの曇り空と防風林の緑のコントラストが、なにかの絵に似ていると思ったら、旧東ドイツ出身の画家ゲルハルト・リヒターの「フーベルラースの小さな橋のある風景」(1969)だった。海浜大通りは、千葉でもっとも情緒があると思う風景の一つで、空の面積が広く、陰鬱だがほの明るいリヒターの絵をしばしば思わせる。たとえば、夕暮れ時には、リヒターが同じ年に描いた「フーベルラース近郊の風景」に似ているという具合に。

その数日後、「プロパガンダと芸術――『冷戦期/冷戦後』の〈芸術〉変容」の研究会で、長田謙一氏の報告「〈東西ドイツ〉美術・デザイン――ベルリンの「壁崩壊」/「東西ドイツ統一」20年の地点から」を聞いた。冷戦構造に規定されていた芸術観の見直しを提起する刺激的な報告で、ゴロムシトクやグロイスがロシアの芸術について行った仕事にも通じている。3年にわたる同研究会の成果は、今秋、東京で2日間の公開コロキウムとして公表される予定。

richter.bmp Landscape near Hubbelrath 1969

2010年02月04日

◆IN VINO VERITAS

BBC Russianのサイトに新しいエッセー「酒中に真あり」が掲載された。今回のテーマはロシアと酒。

数年前にトヴェーリで「文学と酒」という学会に参加したことについて。
私は、20世紀初頭のロシアの作家アンドレイ・ベールイが書いた新興宗教についての小説『銀の鳩』のをとりあげ、「聖なる酩酊」のモチーフについて発表し、ドストエフスキーやパステルナーク、ブロークなどの作品における酒という主題についての報告を聞いた。

学会で一番多く取り上げられた作品は、ヴェネディクト・エロフェーエフの『モスクワ・ペトゥシキ』だった。インテリなアルコール中毒者の妄想の旅を綴ったこの小説では、思いもかけない清々しい結末が待ちうけている。(邦訳『酔どれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行』、安岡治子訳、国書刊行会

ブロークは、詩「見知らぬ女性」で、「永遠の女性」の幻想を夢見て、「酒中に真あり」と書いた。だが、アルコールそのものは、もちろん詩でも幻想でもない。清々しい結末も用意されていない。
ロシアで聞いた酒にまつわる悲しい話について。

いかにもお酒が好きそうに見える闊達な40代後半の詩人が、酒宴の席でもいつも紅茶を飲んでいた。後に偶然その理由を知った。青年時代、彼は友達と夜行列車で旅に出かけ、ロシアではよく見られる光景だが、車窓を眺めながら2人で夜遅くまでウォッカを楽しんだという。翌朝詩人が目覚めてみると、友人は血まみれになって息絶えていた。夜半に列車が急停車した時に、ピクルスの大瓶がテーブルから友人の頭上に落ち、失血のために亡くなったのだ。詩人はその日以来、友人を偲んで一滴も酒を飲んでいない。

ある時、モスクワの裏通りにあるファランステル書店を出た時に、50代ほどの2人の男性の会話を偶然耳にした。1人は「これから飲みに行こう」と誘い、もう1人は「私は酒は飲まない」と断っていた。ただそれだけだが、その声と表情があまりに暗く悲痛だったので、きっと彼にも酒にまつわる悲しい物語があったのだろうと思わせた。

酒にまつわる明るい思い出について。
10年ほど前、モスクワの地理に不案内な知人の付き添いで、モスクワ郊外で暮らす老婦人の家にお客に行った。老婦人は、自分は酒は飲まないが、稀に訪れるお客のために、ハンガリーのトカイワインの瓶を戸棚に大事にしまっていた。瓶は何年も前に開けられたようで、ワインの味も香りもすっかり失われていたが、彼女はそのワインを、楽しい日々の思い出として、また、彼女がお客にふるまえる最高のものとして、とても大切にしているようだった。だから私たちは小さなグラスで少しだけこのワインを頂き、おばあさんはまたワインの瓶をそっと戸棚にしまった。

数年後、雪が降り積もる年の暮れのブダペストの薄暗いカフェで、ふたたびトカイワインを飲んだが、それは仄かに、あの日の金色のワインの味わいがした。ブロークが書いたように、たしかに、あの老婦人が差しだしたワインには、真実が潜んでいたように思う。

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