2010年02月18日

◆「ポスト・スターリン時代の文化的想像力」

参加している研究会の国際ワークショップのお知らせです。

「ポスト・スターリン時代の文化的想像力」

日時: 2010年2月22日(月)12:50‐18:30
会場: 東京外国語大学 事務棟2F中会議室
入場無料、日本語通訳付き

[プログラム]
司会: 沼野恭子
12:50 開会の挨拶 亀山郁夫(東京外国語大学学長)
13:00―13:40 【基調報告】アレクサンドル・ゲニス(評論家)
「亡命ロシアの《第3の波》――自由の仮縫い」

13:45―14:35 【言語文化セクション】アレクセイ・ワルラーモフ(モスクワ大学
教授、作家)
「土壌主義者と自由主義者の見たソヴィエト文学の《正当派》と《異端派》」
コメンテーター: 中村唯史(山形大学准教授)

14:45―15:35 【政治文化セクション】塩川伸明(東京大学教授)
「《成熟=停滞》期のソ連社会――政治人類学的考察の試み」
コメンテーター: 鈴木義一(東京外国語大学教授)

15:35―16:00 休憩

16:00―16:50 【表象文化セクション】西周成(映画作家、映画研究者、合同会社
アルトアーツ代表)
「ソ連における《ポスト冷戦型》映画文化の形成――雪解け時代の再考」
コメンテーター: 岩本和久(稚内北星学園大学教授)

17:00―17:50 【歴史文化セクション】池上善彦(『現代思想』編集長)
「戦後日本のスターリン文化―― 1950年代を中心に」
コメンテーター: 前田和泉(東京外国語大学准教授)

18:00―18:30 全体討論

東 京 外 国 語 大 学
〒183-8534 東京都府中市朝日町3-11-1
JR中央線「武蔵境」駅にて西武多摩川線に乗り換え、「多磨」駅下車、徒歩5分
お問い合わせ: 沼野恭子研究室 nukyoko@tufs.ac.jp (←@を半角に変えてください)

2010年02月17日

◆グリシコヴェツ「夜明けに」

数日前、東京で建築を学ぶロシアの友人が訪ねてきて、偶然、今わたしが夢中なグリシコヴェツの話を始めたので、会話が一気に熱を帯びる。

先日紹介したエヴゲーニイ・グリシコヴェツは、歌手としても活躍していて、彼の歌う「夜明けに」の映像と歌詞が、ロシア文化や社会の情報を伝えるすてきなサイトOBERIUのページで紹介されている。リンクはこちら

今日、2月17日は、グリシコヴェツの43歳の誕生日。

2010年02月16日

◆ゼムフィーラとリトヴィーノワ

昨日の記事で紹介したレナータ・リトヴィーノワは、ロシアの人気歌手ゼムフィーラが2007年に発表した歌のミュージッククリップにも出演している。曲名は、「私たちは散り散りになる」。詩的な韻を踏む言葉を並べることで、連想を翼のように、あるいは横滑りしていく車のように、悲しく滑らかに広げながら、絶望的な愛を歌っている。

リトヴィーノワは、ミュージッククリップの監督も担当。リトヴィーノワは2005年から2007年にかけて、ゼムフィーラの他の歌のミュージッククリップの監督も務めている。今回の作品は、モスクワにあるロシアの自動車メーカー〈ジル〉の工場の廃屋で、2007年8月に撮影された。

リトヴィーノワはこの映像を「愛の絡んだスパイ映画」だと語る。「短編映画」の中で、謎めいたヒロインは、おそらく彼女も一員だった組織の命令で死を宣告され、かつて愛しあっていた殺し屋の手で殺されることを選ぶ。彼女の死後、殺し屋は、殺害の命令は誤った情報にもとづいていたことを知る。ミュージッククリップと歌詞の内容はまったく違っているが、悲劇的な愛というテーマを共有している。

2010年02月15日

◆リトヴィーノワの「桜の園」

舞台のイメージがあまりに印象的で、その舞台を見て以来、作品を読むとその俳優が思い浮かんでくるような上演がある。もちろんそれとは逆に、劇場で上演された、あるいはドラマ化、映画化された小説や戯曲が、自分のイメージと違っていることは、圧倒的に多い。

たとえば、マーサ・ファインズ監督の映画『オネーギンの恋文』でオネーギンを演じたレイフ・ファインズは、原作よりもはるかに年長だが、シニカルで物憂いオネーギン像を、微かな狂気と、退屈で陰鬱な老いの予感を滲ませながら演じていた。

チェーホフの『桜の園』でいうなら、革命を夢見る永遠の学生ペーチャ・トロフィーモフを、1954年生まれのアレクサンドル・コルシューノフに演じさせるマールイ劇場の演出は、ペーチャの苦く哀れな未来を垣間見せるようで、スフェーラ劇場でドクトル・ジヴァゴを演じる時とはうってかわった役者の甲高い裏声も、いかにもペーチャらしい。

一方、『桜の園』のヒロイン、ラネフスカヤには満足したことがなかった。
だが、モスクワ芸術座でラネフスカヤを演じるレナータ・リトヴィーノワの映像の断片を見て、愚かしくも上品で美しく破滅的なヒロインを演じるには、たしかにリトヴィーノワはふさわしいかもしれないと思った。女優で作家でもある彼女を初めて見たのは、アレクサンドル・ミッタ監督のドラマ『国境――タイガ物語』だったが、その独特の語りと存在感にはいつも惹きつけられる。

2009年9月29日 チェーホフ『桜の園』 ラネフスカヤを演じるレナータ・リトヴィーノワ

2010年02月14日

◆グリシコヴェツ『シャツ』

エヴゲーニー・グリシコヴェツの小説『シャツ』を読了。2004年のロシアの大ベストセラー。こんなに面白いなら、もっと早く読むべきだった。

主人公のサーシャは、地方出身で今はモスクワに暮らす、三十路で離婚歴のある建築家。物語は、故郷から旧友のマックスが彼を訪ねてくる日の朝に始まり、その翌朝、さまざまな冒険に翻弄された徹夜明けの主人公がようやく眠りにつく場面で終わる。これは、絶望的な恋や、仕事、友達、数々のトラブルによってシャツのようにもみくちゃにされた、疲れはてた男の一日の物語だ。

主人公の一人称で、人間味あふれるタクシードライバーたち、建設現場の職人、バーテンダーやウェートレスとのつかのまの出会いが語られていく。叙述のテンポは軽快で、本を開くだけで、夜7時にロシアのどこかの町で生きの良い小劇場に足を踏み入れたような胸の高鳴りと、めくるめく時間を体験できる。小説のいくつかの箇所では、戯曲のスタイルがそのまま引用されているが、劇作家、俳優でもあるグリシコヴェツらしさが発揮されているのは、むしろ、読者=観客の笑いを誘う絶妙な言い回しが、これまた絶妙な間隔で配置されていることだ。3分に1回は劇場のホールに笑いの波が広がる――そんな小説である。

主人公は、モスクワの非人間的な渋滞に巻き込まれて、苛立ちながら、時に風変わりな夢想に身を委ねながら、いつもどこかへ疾走している。自分が何を求めているのか知らないまま、ここではないどこかへ向かって。小説の表紙の絵が、大通りを埋めつくす車の列であるのも、偶然ではない。モスクワから一歩も出ずに右往左往する主人公を描いていても、この小説は基本的にロードムービーなのだ。現代のロシアの首都を舞台にした、平凡な男の非凡なオデュッセイア。

モスクワの風景や、モスクワへの述懐をちりばめたこの本の隠れた主人公は、モスクワという町自体でもあるかのように思えてくる。だがやはり、主人公はあくまで、1枚の白いシャツのように無力であると同時にかろやかな人間たちだ。彼らは染みがつき、よれよれになり、汚れや匂いを吸いこんでいても、時に白く輝き、自由な風に翻る。

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Evgenij Grishkovets. Rubashka. 2004.(未訳)
グリシコヴェツ公式HPはこちら(ロシア語) 

2010年02月13日

◆アヴァンギャルドなクッキー

ロシア構成主義のロトチェンコ&ステパーノワ展のために、アレクサンドル・ロトチェンコがデザインし、ウラジーミル・マヤコフスキーが詩を描いたポスターなどの翻訳をした。

国立出版社や航空会社のポスターを手がけるなど、商業デザインに意欲的にとりくんだロトチェンコは、ロシアの老舗の製菓会社クラースヌィ・オクチャーブリ社(赤い十月社)のために、キャラメルやクッキーのパッケージをデザインした(図版は、同社のキャラメル「我らが工業」のパッケージ)。

一方、マヤコフスキーが数々の広告や商品のために書いたテクストは、ユーモアたっぷり、歯切れが良くて、絵本のために彼が描いた愉快な「児童詩」を思い出させる。たとえば、クラースヌィ・オクチャーブリ社の「チャーイノエ(お茶受けクッキー)」のために、マヤコフスキーはこんな詩を書いている。
 

招いていようとなかろうと
頼んでいようとなかろうと
お客はあなたの家へ
かならずやってきます

早くごちそうしなくっちゃ
でも家にはなにもない
パンはひからび
バターはネコが舐めちゃった

どうしよう……
状況は絶望的だ
さあ急げ
「お茶受けクッキー」を買いに行け

モスセリプロム(モスクワ農産物連合)の
赤い十月社のクッキーは
コッペパンよりおいしくてお得
売店はどのアパートからもほんの二歩
どんな横町にだってお店がありますよ

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2010年02月12日

◆これより良いおしゃぶりはない

4月に東京都庭園美術館で始まる、ロトチェンコ&ステパーノワ展のカタログを翻訳している際に、詩人マヤコフスキーとロトチェンコが共作した数々の面白いポスターに出会った。

「これより良いおしゃぶりはなかったし、今も他にはない。年をとるまで吸いたくなる」といううたい文句の有名なおしゃぶりのポスターがあるが、このポスターは、おしゃぶりの宣伝であるだけではなく、布きれを使う代わりにもっと衛生的な製品を使い、古い習慣を捨てて日常の文化を変革することを訴えていたという。おしゃぶりは、意外にも、生活を芸術で変革することを求めた構成主義者ロトチェンコにふさわしいテーマだったのだ。

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2010年02月10日

◆ミハイロフな午後

春の訪れも近いと思わせる寒さの緩んだ正午。
郊外の民家から、固定資産税について語るラジオの音が聞こえてくる。停車中のトラックからは天気予報。偶然耳にするラジオの音はなぜか、日常を旅に変え、ここを「辺境」に変えてしまう。ボリス・ミハイロフが写したソ連の田舎にタイムトリップするように。

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数日前から、エヴゲーニイ・グリシコヴェツの小説『シャツ』を読んでいる。1967年にシベリアのケメロヴォで生まれ、現在はカリーニングラードに住む作家。俳優、歌手、監督でもある。90年代末から戯曲を書きはじめ、2004年にモスクワのヴレーミャ社から、処女小説『シャツ』を出版。モスクワの書店の一番目立つ場所に平積みになっていたのを覚えている。劇作家らしい独特のテンポと臨場感の虜になる。

Photo: Boris Mikhailov

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