◆IN VINO VERITAS
BBC Russianのサイトに新しいエッセー「酒中に真あり」が掲載された。今回のテーマはロシアと酒。
数年前にトヴェーリで「文学と酒」という学会に参加したことについて。
私は、20世紀初頭のロシアの作家アンドレイ・ベールイが書いた新興宗教についての小説『銀の鳩』のをとりあげ、「聖なる酩酊」のモチーフについて発表し、ドストエフスキーやパステルナーク、ブロークなどの作品における酒という主題についての報告を聞いた。
学会で一番多く取り上げられた作品は、ヴェネディクト・エロフェーエフの『モスクワ・ペトゥシキ』だった。インテリなアルコール中毒者の妄想の旅を綴ったこの小説では、思いもかけない清々しい結末が待ちうけている。(邦訳『酔どれ列車、モスクワ発ペトゥシキ行』、安岡治子訳、国書刊行会)
ブロークは、詩「見知らぬ女性」で、「永遠の女性」の幻想を夢見て、「酒中に真あり」と書いた。だが、アルコールそのものは、もちろん詩でも幻想でもない。清々しい結末も用意されていない。
ロシアで聞いた酒にまつわる悲しい話について。
いかにもお酒が好きそうに見える闊達な40代後半の詩人が、酒宴の席でもいつも紅茶を飲んでいた。後に偶然その理由を知った。青年時代、彼は友達と夜行列車で旅に出かけ、ロシアではよく見られる光景だが、車窓を眺めながら2人で夜遅くまでウォッカを楽しんだという。翌朝詩人が目覚めてみると、友人は血まみれになって息絶えていた。夜半に列車が急停車した時に、ピクルスの大瓶がテーブルから友人の頭上に落ち、失血のために亡くなったのだ。詩人はその日以来、友人を偲んで一滴も酒を飲んでいない。
ある時、モスクワの裏通りにあるファランステル書店を出た時に、50代ほどの2人の男性の会話を偶然耳にした。1人は「これから飲みに行こう」と誘い、もう1人は「私は酒は飲まない」と断っていた。ただそれだけだが、その声と表情があまりに暗く悲痛だったので、きっと彼にも酒にまつわる悲しい物語があったのだろうと思わせた。
酒にまつわる明るい思い出について。
10年ほど前、モスクワの地理に不案内な知人の付き添いで、モスクワ郊外で暮らす老婦人の家にお客に行った。老婦人は、自分は酒は飲まないが、稀に訪れるお客のために、ハンガリーのトカイワインの瓶を戸棚に大事にしまっていた。瓶は何年も前に開けられたようで、ワインの味も香りもすっかり失われていたが、彼女はそのワインを、楽しい日々の思い出として、また、彼女がお客にふるまえる最高のものとして、とても大切にしているようだった。だから私たちは小さなグラスで少しだけこのワインを頂き、おばあさんはまたワインの瓶をそっと戸棚にしまった。
数年後、雪が降り積もる年の暮れのブダペストの薄暗いカフェで、ふたたびトカイワインを飲んだが、それは仄かに、あの日の金色のワインの味わいがした。ブロークが書いたように、たしかに、あの老婦人が差しだしたワインには、真実が潜んでいたように思う。
