◆わたしと小鳥とすずと
数日前,寒さがゆるんだので夕方の散歩に出かけると,1歳になる息子が空を指さしている。そこには白い月が浮かんでいた。暗くなってから散歩に出ることなど珍しいので,生まれてから1年,子供が初めて月を見たらしいことに気づく。
0歳の終わりごろから,子供はよく指さすようになる。昨年の暮れだったか,晴れた冬の公園で,息子がじっと空を指すのでその先を見ると,大木の頂でたくさんの小鳥が舞っては止まりながらさえずっていた。
子供は,鳥と不思議な関係で結ばれているような気がする。息子は文字通り生まれたばかりのころ,鳥の声が聞こえてくると,いつも,そのさえずりとそっくりな声を出して答えたものだった。1,2週間すると,その不思議な応答をぱったり止めてしまった。まるで,生まれてくる前にいた天の記憶を失ってしまったとでもいうかのように。そう感じたのは,誕生前の体験を乳児とムクドリが語りあうエピソードが懐かしい『メアリー・ポピンズ』の影響だろうか。
新生児の時だけの神秘的な反応を息子が早々に失ってしまうのは寂しいことでもあったが,鳥とあまりに近い存在であることは,どうしても命のはかなさを連想させるので--ある日突然飛び去ってしまうというように--,すこし安堵したことも覚えている。だが,今でも,他の動物よりも鳥に敏感に反応する。
昨年までは見たこともなかった幼児番組で,大正末期から昭和の初めにかけて活動した童謡詩人,金子みすゞの作品を放送していた。26歳で世を去るまで512編の詩を書いたとされるみすゞの作品に,20年以上前に読みふけったことを思い出した。そういえば,金子みすゞの詩は,ロシア語に訳してみたら,また違う魅力で輝くタイプの作品だと思う。以前,ロシアの詩人ミハイル・スホーチンと共に,谷川俊太郎の詩を数編訳したことがある。金子みすゞの詩も,ロシアの詩人の力を借りて簡素で美しい言葉に訳したら,翻訳によって女性的な語りが背後に退き,空想性が前面に押しだされて,案外と,不条理詩で知られるオベリウの詩人たちのようなとびきりの児童詩に仕上がりそうに思える。

『わたしと小鳥とすずと―金子みすゞ童謡集』 JULA出版局 1984年

田中一村「アダンの木」昭和48年ごろ
「プロジェクト宮殿」より