1910-20年代のロシア・アヴァンギャルドの言語実験の潮流を受けつぐ詩人たちが,現代ロシアにもいる。日本でも訳書『星の時間』で知られるコンスタンチン・ケドロフ。回文詩などの言語遊戯を追求したドミートリー・アヴァリアーニ。視覚詩の技法を発展させ,視覚詩の朗読という困難な課題に果敢に立ち向かってきたアンナ・アリチューク(本名アンナ・ミハリチューク)。
アリチュークに初めて会ったのは2000年頃だ。彼女は自宅に友人たちを招いては,見事な料理をふるまい,詩を朗読し,今とりくんでいるプロジェクトについていつも情熱的に語った。当時40代後半だったアリチュークは,詩人としてだけでなく,アーティストや評論家としても活動の場を精力的に広げていた。
2002年にトレチャコフ美術館で開催された「女性芸術――15-20世紀のロシアの女性=画家」展では,インスタレーション『乙女の玩具』(1994)を発表。「ミロのヴィーナスだって,たまには男性の裸を見てみたい。自分が見世物にされるのはもうたくさん!」という筋立てで,ミロのヴィーナスのポーズをとった男性の半裸写真を,遠くからヴィーナスの頭(彫刻)が見ているという作品だ。男性にとっての理想の女性像である女神が「反乱」を起こすというストーリーである。写真の男性達には,本物のミロのヴィーナス像と同様に手と頭がなく,そのかわりにヴィーナスが頭を獲得しているこの作品は,男性芸術家だけが「意味づける者」で,女性は描かれる対象でしかなかった状況を揶揄していた。
アリチュークはこのコンセプトを発展させ,同年の国際写真展では,プロジェクト『掟の像Ⅱ』を発表した。この作品ではアリチューク自ら裸になり,巷にあふれる「男性用の」エロティックな女性の裸ではなく,女性自身が主体的に自分の裸体(+テクスト)でなにを表現するかという問いかけを発したのである。
アリチュークは,夫である哲学者ミハイル・ルィクリンと共に,ロシアの詩壇,美術,フェミニズムについて様々な評論活動もくり広げ,展覧会の企画にもかかわってきた。2003年に彼女が企画に加わった「宗教にご用心!」展(モスクワ,サハロフ博物館)は,ロシア正教を戯画化した作品を含んでいたことから,狂信的なテロリスト達によって会場を破壊され,アリチュークらは宗教的敵意をかきたてた容疑で裁判を受けることになった。アリチュークは無罪になったが,サハロフ博物館館長と学芸員は多額の罰金を命じられ,新生ロシアにおける表現の不自由を世界に知らしめた。
この数日,ドイツやロシアの新聞は,アリチュークの失踪事件を報じ続けている(朝日新聞でも4月1日に報道)。3月21日午後,「買物に行く」と言ってベルリンのアパートを出たまま,今も行方が知れない。政治的,宗教的理由による誘拐とも,抑鬱症による自殺とも言われているが手がかりがない。昨年12月に彼女がベルリンに移住した直後に送ってきた手紙は,いつものようにバイタリティに満ちあふれていた。
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アンナ・アリチューク関連文献(鴻野)
・「下着とパレード 現代ロシア文化におけるノスタルジー」『早稲田文学9月号』(早稲田文学会,2001年)51-59頁.
・「ロシアの梟はヴィーナスの夢をみるか―ロシア美術とフェミニズム」『窓 2002年3月 120号』(ナウカ,2002年) 29-33頁.
・「渦巻くモスクワ―アート・裁判・ビエンナーレ」『BT美術手帖vol.57. No. 864 2005年5月号』(美術出版社,2005年)133-137頁.
・「現代ロシアンアートの50年―生きのびるためのアート」『AVANGARD』Vol.4(TGO UNIVARTO,2008年)8-12頁.