2008年03月31日

◆イメージのポルカ

明日から新年度。桜が満開の大学キャンパスを,新入生らしい学生と父兄が散策していた。

ロシアや東欧の文化を知らない新入生も,こんな本を手に取ったら,スラヴ世界に関心を抱くかもしれない。

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『イメージのポルカ  スラヴの視覚芸術』 (近藤昌夫,渡辺聡子,角伸明,大平美智代,加藤純子著,成文社)は,スラヴの宗教芸術,美術,アニメーションなどを扱った「オムニバス講義」形式の書籍で,6つの講義から成っている。「講義」の内容は以下の通り。
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まえがき──スラヴというヨーロッパ、そして視覚芸術│近藤昌夫
第1講 教会とイコン│渡辺聡子
第2講 シャガールはなぜ七本指なのか?──東方ユダヤ史から見たマルク・シャガール│角伸明
第3講 カンディンスキーのモスクワ│近藤昌夫
第4講 ロシアとチェコのアニメーション│大平美智代
第5講 人形劇と東西スラヴ世界│近藤昌夫
第6講 ヴィジュアル文化と音楽(伝達と利用の可能性)│加藤純子

2008年03月28日

◆論集『帝国を超えて』

内外の研究者が出会う様々な場を作りつづけてきた北海道大学スラブ研究センターで,2006年12月に国際シンポジウム<帝国を超えて:ユーラシア文化のコンテクストにおけるロシアのイメージ>が開催され,その論文集(英・露語)が今月刊行された。

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ロシアのオリエンタリズムとポストコロニアリズム,大衆映画におけるソ連の表象,外国におけるロシアとロシア人のイメージ等を扱った21本の論文を収録。鴻野は,「ロシア系ユダヤ人非公式芸術家の世界観」(露語)について発表した。論集の内容は,同センターのサイトでも公開されている。

Beyond the Empire: Images of Russia in the Eurasian Cultural Context.
21st Century COE Program Slavic Eurasian Studies. No.17
(Ed. by Mochizuki Tetsuo).
Hokkaido: Slavic Research Center Hokkaido University, 2008.

2008年03月21日

◆善き人のためのソナタ

『善き人のためのソナタ』(Das Leben der Anderen,監督:フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク,2006年ドイツ)を見る。本作は,1984年の東ベルリンを舞台に,シュタージ(国家保安省)の諜報員ヴィースラーの体験を描き,第79回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した。

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出世と保身をもくろむ同僚とは一線を画し,国家への忠誠心から職務を遂行するヴィースラー(ウルリッヒ・ミューエ)は,反体制の疑いのある戯曲家ドライマン(セバスチャン・コッホ)とその恋人クリスタ(マルティナ・ゲデック)の監視を行ううちに,今まで信じてきた主義や国家に疑問を抱きはじめる。

映画に登場する「被疑者の体臭のコレクション」や秘密警察のアーカイヴから,愛読書である河合純枝『地下のベルリン』(文藝春秋,1998年)を連想した。収容所,核シェルター,資料庫など,ベルリンの地下の建造物から20世紀ドイツ史を見つめた名著である。同様の視点からモスクワとソ連史について語ることもできるのではないかと考えている。

Photo: Kobal/SonyPicturesClassics/TheKobalCollection/WireImage.com

2008年03月09日

◆わたしいまめまいしたわ 現代美術にみる自己と他者

先日,企画展<わたしいまめまいしたわ 現代美術にみる自己と他者>を見に東京国立近代美術館へ行った。高松次郎,草間彌生,澤田知子,宮島達男,岡崎乾二郎,フランシス・ベーコンらの作品を集め,アイデンティティの追求や自分と他者の関係について考えるというコンセプトで構成されている。

死者を追悼しながらゆるやかに姿勢を変える5人の姿を写しとったビル・ヴィオラのヴィデオ・インスタレーション《追憶の五重奏》(2000)は,緩慢な時間の流れが喪失感を癒していく,あるいは,時が癒しをもたらさなくても記憶するために生きることができるという希望のようなものを湛えている。

喪の空気は,樹を見上げた時の空間をモノクロームで描いた日高理恵子《樹を見上げてVII》(1993)にもあった。遠目には写真に見えるほど写実的でありながら,近づくと絵であることが分かる日高の作品は,木を見るという行為を客観視させ,木を見上げる時の自分の姿も他者として俯瞰させる。せわしい生活のなかで身近な木をわざわざ見上げるのが,追悼の時であるとしたら,地上に足を踏みしめて黒い枝越しに光の空を見上げるのは,弔いの先にある名づけようのない世界に目をこらす行為に似ている。

2008年03月05日

◆クジラの島の少女

捕鯨問題が取りざたされる今日この頃,『クジラの島の少女』(Whale Rider 監督:ニキ・カーロ,2002年)を見た。

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ニュージーランドの海辺の過疎の村。マオリ族の族長コロは,遠い祖先であるクジラ乗りの勇者パイケアの再来を信じ,村を再興する男子の誕生を待ち望んでいた。コロの長男に双子が生まれるが,男の子は母を道連れに死に,女の子が残され,父は娘をパイケアと名づける。孫娘の誕生に無関心だったコロも,やがて賢い少女に育った彼女に愛情を覚えるようになるが,部族の後継者は男であるという主義に固執し,部族の再生に身を捧げようとするパイケアを拒絶する……

男尊女卑の因習に縛られ,無気力が蔓延するマオリの村を,マオリ人の女性監督が描きだしたこの映画は,局地的であると同時に普遍的でもある。悲壮なまでの責任感で世界を救おうとする少女を主人公にした,西洋の民話や日本のアニメーションにも通じる神話的な構造においても,会社やロシアの農村などあらゆる共同体に通底する危機を見据えたという現代的な意味においても,この作品のニュージーランドの遠い海は,観客それぞれの身近な岸辺につながっている。