ロングアイランドでの仕事が終わった夕方,画家夫妻の知人のイーゴリがマンハッタンまで私たちを送ってくれた。

それまで私たち3人は数日間イーゴリの家に泊って,毎朝毎夕スクールバスに乗って規則正しく学校に通う子供さながら,イーゴリの車で仕事場に通っていた。あまりに近いので途中にスーパーもなく,数日間1缶のビールも飲まなかったこともそれなりに残念だったが,時差ぼけと興奮で連日1-3時間しか寝ていなかったので,アルコール抜きだったのはむしろ幸運だったかもしれない。むしろ,せっかく泊めてくれているイーゴリと話す時間がないのが惜しまれた。
でも,ニューヨークへの2時間の帰り道,イーゴリと話をした。
イーゴリは3年前にニューヨークに来るまで,リトアニアのカウナスで音楽家をしていた。単身アメリカに移住して,どうにか生活の基盤ができて妻子を呼び寄せたのは,やっと1年前。この夏は家族だけがリトアニアに里帰りして,イーゴリは土曜も働いている。
「私はまだモスクワにいた時に,今の職の公募をインターネットで見つけて,突然仕事が決まって,予定をきりあげて帰国して,縁のなかった町に引っ越してきたの。でも,知らない町といっても日本は日本だった。あなたの奥さんは,あなたがアメリカで仕事を見つけて家族で移住することについてどう思ったの?」
「妻は,カウナスの銀行で良い仕事についていた。だから最初は難色を示したよ。でもリトアニアでは職業上の可能性が本当に低いんだ。ぼくは,芸術にかかわり海外に行くことも多い今の仕事に満足してる。大事なのは,どこで暮らすかじゃない。仕事を見つけることだ」
「娘さん二人は,数年後に高校を卒業したらどうすると言っているの?」
「上の子は,語学が得意だから通訳になればいいと思ってるよ。下の子は内向的だからどうなるかな」
イーゴリと何を話しても,彼の話題はいつも,どう仕事を見つけるかということに移っていった。
「今,アメリカでも工場がどんどん外国に移転してる。だから,商店で働くか,それともエリートになって会社で働くかしか選択肢がなくなってきてるんだ。昔は,工場で働くっていう選択肢があったのに。たしかにコストの安い外国に工場を移せば,物はちょっとばかり安くなるさ。でも,それがどんなに大きい問題をひきおこすかってことが,この国ではまだ分かってないんだ」
イーゴリは,「ぼくはマンハッタンはよく知らないんだけど」と言いながら,最終日だけ泊ることになっていたホテルに送ってくれる途中,五番街やブロードウェーを車で案内してくれた。私のニューヨークは,イーゴリの車から見た20分間のパノラマだけだ。
移民の孤独を描いたウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』の後半が,なぜロード・ムービー仕立てなのか,その時分かったような気がした。車のガラスは,私達と町を厚く隔てていた。余所者にも惜しまず美しい顔を見せる町,それを壁の中から見ていた私たち。