◆モスクワからの写真
モスクワの友人が,一昨日たてつづけに添付ファイルでモスクワの写真を何枚も送ってくれた。
モスクワの中心部に立つニコライ・ゴーゴリ像や,アレクサンドル・プーシキンの博物館など,なつかしい光景が飛びだしてきた。

写真には,手紙も写真の説明も添えられていなかったが,つい先日,「近いうちに,モスクワの写真を送るわね」というメールがきていたので,春になったことだし,写真好きの彼女がカメラを持ってモスクワを散歩する様子が目に浮んだ。
でも最後に届いたファイルに,「ゴーゴリとプーシキンのモスクワの写真を送ります」という短い添え書きがあって,はたと気がついた。何年か前にも授業のためにとロシアの森の写真をくれたように,今回も,授業用に,わざわざ文学にちなんだ場所をめぐって写真を撮ってくれたのでは? 3月にモスクワで彼女に会った時,今年は「文学と都市」をテーマに授業をするという話をして,扱う作家について相談に乗ってもらったばかりだった。送ってくれたほとんどの写真の中のモスクワはまだ肌寒そうで,散歩日和という感じではないし。そういえばたしか,一昨日のモスクワの最低気温はマイナス1度だったはず!
モスクワの東洋美術館の学芸員で,中国,グルジア,ロシアの20世紀美術を研究する彼女は,芸術だけを糧に生きているような人で,異文化を味わったり紹介することが,皮膚のように自分の一部になっている。ロシアで研究者やジャーナリストと話をすると,以前ロシアが支配していたフィンランドのことを,いまだに文化後進国として考えている人や,チェチェンをロシア化するのは啓蒙主義の見地から見て正しいことだと主張する人に出くわすこともあるけれど,彼女のように自然体に多文化を生きている人たちにも,もちろん出会う。たくさんの言語があるなかで,たまたまロシア語を選んでロシアへ行き,たくさんの人がいるなかで偶然そんな人と出会うことには,やっぱり小さな奇跡を感じてしまう。出会いはみんなそうだけれど。
(上の写真) 大都市のなかで居心地悪そうに身を縮めている古い建物の写真が,ハイム・スーチンのゆがんだ風景画のよう。この写真はその友人のもの(許可を得て掲載)。




