◆美術を捨てよ,野へ出よう
『BT美術手帖3月号』(本日発売)の「Around the Globe」欄で,年末年始に取材したスロヴァキア,ハンガリー,スロヴェニアの展覧会を紹介した短文が掲載されている。主な内容は,1960年代のワールド・コンセプチュアリズムの波に連なるスロヴェニアの芸術家グループOHOについて。
1945年前後生まれのOHOの芸術家たちは,「世界への新しい接し方」,「二つの違う世界が出会う方法」を模索して1966年に美術,文学,パフォーマンスなどの分野で活動を始めたが,70年代初頭に海外で評価されはじめると同時に,美術制度や,当世の芸術家の生き方に対する懐疑を深めていった。MOMA(ニューヨーク)の展覧会に参加した直後,従来の枠組での「美術」を捨てることを決意し,その後はスロヴァキア小村の農村に蟄居してコミュニティーとして暮らしながら,芸術的生の実践という新しい課題にとりくむことになる。
OHOが70年代初頭に美術の表舞台から去ったことは,スロヴェニア現代美術が世界に進出する時期を数十年遅らせることになったといわれているが,OHOが60-70年代のごく短期間ではあるが旺盛な活動を通じてリュブリャナにもたらした芸術的気風は,今に至るまで現地の芸術家に強い影響を与えつづけているし,OHOの元メンバーらの後年の活動も,スロヴェニア現代美術史の重要な側面になっている。
OHOのパフォーマンスや視覚詩(ヴィジュアル・ポエトリー)は,フルクサスや,モスクワ・コンセプチュアリズムのレフ・ルビンシュテインの作品に近いが,同時代のソ連と欧米のアートのちょうど中間に位置している気がする。OHOの作品を介して考えると,ソ連非公式芸術と当時の欧米の美術のつながりがよりはっきりと見えてくるのも面白い。
写真はOHO展が開催されたリュブリャナのベジグライスカ・ギャラリー1,2 OHOの作品は,スロヴェニア近代美術館の常設展示でも見られる。

