2005年12月16日

◆サムソン・ブロイトマン教授

サムソン・ナウーモヴィチ・ブロイトマン先生が今日亡くなったと,モスクワの友人達が知らせてくれた。

ブロイトマン先生はロシア詩研究の大家で,ダゲスタン大学,ロシア人文大学で多くの弟子達を育てた。3年前,私のPh.D論文の副査も引き受けて下さったのもブロイトマン先生である。ふだんは物腰の柔らかい先生が,熱い口調で論文をかばって下さった姿はいつも私の支えだった。先生は,長い間病気と闘われて入退院を繰り返していたのに,一度大学へ来ると苦しい表情一つ見せず,授業と指導にあたられていた。

2002年の夏,論文を届けにモスクワの御自宅へ伺った時,壁にかかっているダゲスタンの絵画の話になった。みずみずしい色彩だが強い寂寥感が漂う風景画で,道なき道を描いたその絵の下で先生は静かに微笑んでいた。研究者,学者をとりまく厳しい状況の中で,先生は機会があれば若いロシアの研究者に仕事を与え,目立たぬ形で援助の手をさしのべられていたのである。10月のベールイ学会でお会いしたのが最後になった。来年の3月にモスクワで大学に伺ってゆっくりお話しするはずだったが,それも叶わくなってしまった。

アレクサンドル・チュダコフ,ミハイル・ガスパーロフ,ウラジーミル・トポロフ,この数ヶ月のうちにロシア文学研究の大家が相次いで世を去った。研究会の度に,手のひらに入るような手帖に小さな文字でひたすら何かを書き続けていたガスパーロフ氏の姿は,忘れることができない。

人文大で何度かお会いしたエレアザル・メレチンスキーも今日亡くなった。強い喪失感を感じる数ヶ月だった。ドイツの児童文学者ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』に,世界に徐々にはびこり広がっていく〈虚無〉のイメージが出てくる。喪失感を感じてばかりはいられないが,そんな〈虚無〉の影を感じる。

夏にモスクワでお会いした時,ブロイトマン先生が,もし私があなたの立場だったら次はこれをやるでしょうと助言して下さった仕事がある。先送りになりかかっていた仕事だが,それを始めなくてはいけないと思う。

2005年12月11日

◆ダニイル・ハルムスの森

NHKロシア語講座応用編で,今月はダニイル・ハルムスの作品を読んでいる。

ハルムスは1905年生まれの作家,詩人で,本名はダニイル・ユヴァチョフ。1928年に,仲間の詩人アレクサンドル・ヴヴェジェンスキーや,ニコライ・ザボロツキーらとともに,前衛文学グループ〈オベリウ〉を結成し,文学,美術,演劇などの分野で新しい芸術運動の展開をめざした。だが,1930年代に文化,文学の統制が強まっていくと,奇妙で不思議なハルムスの作品世界は強い批判を受けることになる。何度か逮捕された後,1941年の逮捕が最後となって,翌年,ノヴォシビルスクの収容所内の病院で亡くなった。ハルムスの作品は,ソ連時代も地下出版で読みつがれ,その実験的な作風は,60年代のソ連の非公式作家にも大きな影響を与えている。

今月最後にラジオで読むのが,ハルムスの晩年の詩「男は家を出ていった」である。この詩では,ひたむきに前に歩き続けた男が,ある日森の中へ消えてしまう。突然の逮捕の末に「消えてしまった」ハルムス自身の末路を予言しているかのような詩である。ハルムスが収容所内の病院で亡くなったのは,この詩を書いたたった5年後のことだった。

ロシアの童話,絵本の中では,森は,不思議なことが起こる非日常の場所,魔法の空間だった。森にはレーシーという森の精が住み,バーバ・ヤガーという魔女の小屋があるとされていた。そしてまた,森はハルムスにとっても特別な場所だった。ハルムスの中編小説『老婆』は,ドストエフスキーの『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフにも似た主人公の男が,都会の自分の部屋で様々な不条理な体験に苦しんだ後,突然列車に飛び乗って,おもむろに暗い森に入っていく物語である。

ハルムスは1930,40年代のロシア文壇に颯爽と現れた魔法使いのような作家だった。当時の社会,政治は,写実的な文学,現実的な文学を求めていたが,ハルムスは日常のすぐそばにある不思議な世界の追求をやめなかった。それに,言葉遊びを多用したハルムスの作品は,どこか呪文のような位魅力を感じさせないだろうか。ハルムスの魔法,ハルムスの作品は,今もロシア文学の深い森の中で生き続けている。

男は家を出ていった

  男は家を出ていった
  棍棒片手に 袋をもって
  遠い旅路へ
  遠い旅路へ
  歩いて出かけていった

  ずっとまっすぐ進んでいった
  ずっと前を向いていた
  眠らず 飲まず
  飲まず 眠らず
  眠らず 飲まず 食べもしないで

  そしてある日 明け方に
  暗い森へ入っていった
  その時以来
  その時以来
  以来 姿を消してしまった

  でももしあなたが
  男をたまたまみかけたら
  そのときはすぐに
  そのときはすぐに
  すぐに わたしたちに教えてほしい

2005年12月09日

◆4年目

月曜に,昨年度のベストティーチャー賞受賞者によるFD研修(教員研修)の講師をつとめた。授業についての講演を準備しているうちに,2002年の秋に着任した頃のことを思いだした。

留学先から帰国して数日後に着任した私は,まともに引っ越しをする時間もなかったので,しばらくは空っぽのアパートで,身の回りの物をつめてきた段ボールを使って仕事していた。まさにミカン箱の世界を地で行く感じ。いつのまにかSUICAが普及していた日本では電車の乗り方さえ分からず,引っ越し先のアパートの近くでは,どこでどんな食料品を買えるのかを道ばたで知らない女性に尋ねるしまつである。きっとせっぱ詰まっていたのだろう。

あれから3年経ったが,基本的には綱渡り的な状況は今もあまり変わっていない。でも,ロシア文学をテーマに卒論を書く学生も育ってきたし,家で何度もCDを聞いてロシア語を勉強する学生もいて授業はもっと楽しくなってきた。今年ももうすぐ終わり。このところ息切れ気味だが,どうにか乗り切りたい。