2005年11月30日

◆ペテルブルグの文豪

ロシアの北の都ペテルブルクは,ピョートル大帝によって沼地の上に作られて以来,プーシキンの『青銅の騎士』やゴーゴリの〈ペテルブルク物〉,ドストエフスキー,ベールイなどの一連の作品の舞台になってきた。どの街角,どの運河にも,いくつもの文学作品の陰影が絡みつく。この水の町全体が,何重にも折り重なった本の頁の上に浮んでいるようにも思える。

南アフリカ共和国ケープタウン生まれの作家で,2003年にノーベル文学賞を受賞したJ・M・クッツェーの『ペテルブルグの文豪』(本橋たまき訳,平凡社,1997年)は,義子パーヴェルの死の知らせを受けて,ドレスデンからペテルブルクへ単身戻ってきたドストエフスキーについての架空の物語である。作品のいたるところに,ドストエフスキー自身の作品や,ペテルブルクを舞台とした他の作家達の作品を思い出させる描写がある。ペテルブルグの伝説や神話,そしてこの町を描いた多くの文学作品と,水の上で揺られるように親しく触れあい,長い間戯れ続けたら,こんな作品が生まれるのだろうか。『ペテルブルグの文豪』を読んでいると,数々の作品が織りなす薄明るい文学の空間の中をさまよっている気がしてくる。

この他,中島京子の小説『イトウの恋』(講談社,2005年),礫川全次『サンカと三角寛 消えた漂白民をめぐる謎』(平凡社新書,2005年),江戸川乱歩賞を過去に受賞したいくつかの作品を読む。

2005年11月27日

◆GUNDAM-来たるべき未来のために

先日上野で,アニメーション「機動戦士ガンダム」をテーマに,東谷隆司がキュレーターを務め,注目の現代アーティスト達が製作した作品を集めた展覧会を見た。戦争,進化,生命という3つの視点で構成されている。

ガンダムの初回放送は1979年。展覧会に参加しているアーティストの多くは当時小・中学生であり,まさに「ガンダム世代」の30代だ。日本の戦争画のパロディ・シリーズを手がけ,「ザク(戦争画 RETURNS番外編)」を出展した会田誠は1965年生まれである。1975年生まれの田中功起は,ガンダムの主人公アムロと同年代の日本の少年達のポートレイトを撮影した「アムロとアムロたち」を出展した。この中の少年達の表情には,とまどいや迷いなど感情の微妙な陰影が,流れる雲の影のように映し出され,少年達の背後にある夕暮れの郊外のコンビニや地方の学校の情景もリリカルである。

西尾康之の彫刻「crash セイラ・マス」は,内臓がコックピットになった巨大な女性像によって,死への志向,フェティッシュ,母体回帰などが混合した極限的な感情を,人を戦争へと駆り立てる原因として描いた迫力ある作品だ。戦争による大量死を抑えた色彩で表現した書道家でアーティストの横山豊蘭の作品も,見つめているうちに様々な光景が見えてくる。

展覧会は,上野の森美術館で開催中。12月25日まで。

2005年11月17日

◆『宮廷の道化師たち』他

チェコ出身のユダヤ系作家アヴィグドル・ダガンの『宮廷の道化師たち』(千野栄一・姫野悦子訳,集英社,2001年)は,強制収容所の最高司令官の道化師として生き延びた4人の男たちの運命を描いた作品。やがて3人の男たちがイェルサレムに流れ着き,人間は神のために作られた道化師にすぎないのかと自問する。目前で殺された妻の遺体を前にカラーボールを投げ続ける男,イェルサレムの路上で談話する男たち…… 読後,長くないこの小説の中の様々な場面が,鮮やかな映像として瞼の裏に甦るような映画的な作品だ。

横村出『チェチェンの呪縛』(岩波書店,2005年)は,チェチェンを長い間取材してきた朝日新聞記者の著書で,2004年のベスランの小学校でのテロ事件までを扱っている。抑制された文章の中にも,現場に立ち会い続けた者の重み,政治に対する客観的な意識が感じられる。チェチェン問題の一因となった歴史的背景への目配りもあり,バルト3国とロシアの微妙な関係やロシアのジャーナリズムに関心を持つ読者にも有益である。

2005年11月14日

◆懐かしい部屋

夜,ロシアの友人達の家で,古いアパートの部屋が薄暗い白熱灯で照らされて,ソ連時代の壁紙や調度品が味わい深い懐かしい色合いを浮かべているのを見るのが好きだ。ロシアの大学院で同窓だった友人は,ずっと親元で暮らしているので,彼女の部屋では,子供の頃のおもちゃや古い写真,小物が,大人になってから買った本やパソコンと同居していて,ノスタルジックな空間を作っている。

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2005年11月13日

◆ホーリンのバラック

モスクワから帰ってきて1週間。ロシアの写真の整理を始めた。下の写真は11月4日の祭日の夜に,モスクワの友人の家にお客に行った時のデザートで,友人自身がロシア北部の森で集めたベリーとハチミツだ。彼は詩人で,フセヴォロト・ネクラーソフの詩や,モスクワ・コンセプチュアリズムの絵画,文学を愛している。この日集まった人達は皆,詩人イーゴリ・ホーリンのファンで,最近出たホーリンの詩集の話で持ちきりだった。

ホーリンといえば,モスクワの貧しい共同住宅,アパートの人間模様を描いたバラックの詩が有名だ。以前,モスクワの中心部から少し外れたアパートで暮らしたことがあった。隣人の騒音など色々な問題があって,じきに引っ越してしまったが,ちょうど渦中の時にホーリンのバラックの詩に出会い,今のこの生活にぴったりだと思って読みふけった。

でもロシアに行ったことがない人でも,ホーリンの詩を読めば,これは自分の生活を描いたものだと感じる瞬間があると思う。滑稽で時に醜悪な日常を,ユーモアをこめて描き,時には叙情性で包みこむホーリンの詩には,こんな生活でも捨てたものじゃないと思わせるほのかなあたたかさがある。雪の夜に,何の変哲もないアパートに灯るいくつものあかりを眺めるようなあたたかさだ。

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2005年11月07日

◆詩人の夜

数日前,モスクワで展覧会めぐりをしていた日,一緒に展覧会を見ていた若い詩人が,用事でアルバイト先のオフィスに立ち寄るのに付きあった。そんな用事でもなければ足を踏み入れないようなタガンスカヤの一角で,住宅,オフィス,空き地が入り混じる開発途中の場所だった。

古色蒼然とした赤い煉瓦の建物が夕陽に映えていて,写真をたくさん撮った。その脇にあった,ほの暗い電灯を灯した汚れた建物は,なぜかアンドレイ・プラトーノフの『フロー』の世界,ソ連時代の地方都市の労働者地区を連想させた。

友人は,誰かの代理で2日間だけ,キューバ・レストランでアルバイトをして,その給与を受け取りにオフィスに来たとのこと。オーナーは15年間モスクワに住むキューバ人で,自分専用の2人のボディガードに1日中守られ,毎晩夜の生活を派手に楽しんでいるらしい。友人は,その2日間で面白い世界を色々のぞいたが,レストランでのアルバイトは好きではないと言っていた。ふだんは出版社で夜警の仕事をして,この数年は新年も一人で警備室で迎えている。詩人の中には,一人で静かに作品を書いたり本を読んだりできる夜警の仕事に就く人が昔から多い。この大都市で,何人の詩人が眠らぬ夜を迎えているのだろう。

2005年11月05日

◆鳥と森

なぜかいつもロシア出国の当日に会うことになる詩人がいる。昼過ぎ,モスクワ北部のソコーリニキ公園の近くに住む詩人の家をたずねた。彼の奥さんは画家で,彼が詩を,彼女が絵を描いて合作を手がけている。

ロシアの画家の家によくあるように,アパートの壁一面に,彼女の作品がかかっていた。多くの作品に不思議な鳥が出てくる。揺れるような筆遣い,淡い色彩で,幻想的な世界を浮かびあがらせる。その中に一枚,いかにもロシアの村を思わせる田舎の家と林を舞台にした小さな絵があった。女性が手に魔法使いの水晶玉のような球を持ち,小屋の前に立つ男性に差し出している。男性は幸せそうに両手を差し伸べている。その男性の表情とロシアの風景が印象的だった。

彼女が森で集めたきのこを使ったスープとお茶を頂き,詩人が長年興味を持っているパリンドローム(回文)の話を聞いた後,飛行機の時間に間に合うように家を辞そうとすると,彼女が微笑んで袋を差し出し,そこにあの絵が入っていた。好きな画家は多くても,この絵がそばにあれば生活がもっと良いものになると思えるような作品は少ない。そんなわけで今,その絵と一緒に飛行機に乗っている。

2005年11月04日

◆ファランステル書店

展覧会を3つ取材してから,ファランステル書店へ行き,現代アーティスト,グリーシャ・ブルスキンとオレク・ワシーリエフの回想記や,イーゴリ・ホーリン,アンドレイ・ロジオーノフの詩集,ダニイル・ハルムスについての論集を買った。ファランステル書店は,オギ・ピロギ系列の書店と同様に,文学,美術,歴史,政治などの本を安く豊富に揃えているので,ロシア人の知人もよく通っている。

ファランステル書店の経営者は政治的傾向が強いので反感をかったためか,今年の始めに放火されて書店は一時期休業していたが,9月に別の場所で営業を再開した。再販制度が確立していないロシアでは,1,2年前の本を手に入れるのも一苦労だが,モスクワ書店やドーム・クニーギ,ビブリオ・グロブス等の書店に探している本がなければ,ファランステル,オギ,ピロギなどの小さい書店をまわると見つかることがある。こうした小書店は,モスクワでは文化の重要な発信地だ。

ファランステルの移転先は,プーシキンスカヤ駅から徒歩5分。プーシキン像を右手にトヴェルスカヤ通りを都心に向かって歩き,プーシキン広場のあるブリヴァールから数えて2つ目の細い道(Malyj Gnezdnikovskij per.)を右に曲がる。その道を15 メートルほどいくと左手に看板があるので,そのアーチの中にはいると,すぐ右手の 2階に書店がある。

9月か10月に,今年あいついで焼失したファランステル書店とビリングア書店の焼け出された本のバザーがあった。モスクワにいればぜひ行きたいところだった。今でもファランステル書店の一角には,焼け焦げた本のコーナーがある。

Malyj Gnezdnikovskij per. d.12/27. tel.(095)504-4795. 11時から20時まで。

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