◆ペテルブルグの文豪
ロシアの北の都ペテルブルクは,ピョートル大帝によって沼地の上に作られて以来,プーシキンの『青銅の騎士』やゴーゴリの〈ペテルブルク物〉,ドストエフスキー,ベールイなどの一連の作品の舞台になってきた。どの街角,どの運河にも,いくつもの文学作品の陰影が絡みつく。この水の町全体が,何重にも折り重なった本の頁の上に浮んでいるようにも思える。
南アフリカ共和国ケープタウン生まれの作家で,2003年にノーベル文学賞を受賞したJ・M・クッツェーの『ペテルブルグの文豪』(本橋たまき訳,平凡社,1997年)は,義子パーヴェルの死の知らせを受けて,ドレスデンからペテルブルクへ単身戻ってきたドストエフスキーについての架空の物語である。作品のいたるところに,ドストエフスキー自身の作品や,ペテルブルクを舞台とした他の作家達の作品を思い出させる描写がある。ペテルブルグの伝説や神話,そしてこの町を描いた多くの文学作品と,水の上で揺られるように親しく触れあい,長い間戯れ続けたら,こんな作品が生まれるのだろうか。『ペテルブルグの文豪』を読んでいると,数々の作品が織りなす薄明るい文学の空間の中をさまよっている気がしてくる。
この他,中島京子の小説『イトウの恋』(講談社,2005年),礫川全次『サンカと三角寛 消えた漂白民をめぐる謎』(平凡社新書,2005年),江戸川乱歩賞を過去に受賞したいくつかの作品を読む。


