2005年10月31日

◆太陽の金色の光を信じて

朝,学会のエクスカーションで,スモレンスカヤにある旧モロゾフ邸の特別公開に行った。この歴史的建築は今では銀行の事務所になっていて,見事なゴシック風のホールやポンペイ風の壁画も,ふだんは目にすることができない。モスクワ音楽院のそばにあるゴーリキーの家博物館のように昔の邸宅が一般公開されている例は少ないが,モスクワにも元貴族や商人の邸宅が無数にあるのだ。

その後,ノヴォデヴィチ修道院のベールイの墓に行った。ベールイ自身もしばしば訪れて瞑想にふけった場所で,修道院の高い壁に囲まれた空間にはなるほど静かな霊感が満ちているようだ。ペトロザヴォーツクから来た研究者は,「太陽の金色の光を信じて…」というベールイの有名な詩をふまえて,太陽のような黄色いガーベラの花を供えていた。この詩は,ベールイの死後すぐに,詩人が自分の死を予言した作品であると解釈されて以来,伝説的な作品になった。

夜,学会に参加していたロシア文学研究者に紹介されて,今は亡き画家夫妻ウラジーミル・スチェルリゴフとグレボワの姪が住むアパートに行った。アパートは地下鉄ヂナモ駅の街道に面して建ち,すべての部屋の壁一面に絵がかかっている。グレボワはパーヴェル・フィローノフの弟子で,スチェルリゴフは作家ダニイル・ハルムスとも親交が深く,それぞれ面白い作風を確立したのだが,今ではロシアでもたまに展覧会が催されるだけで,美術関係者の話題になることも少ない。スチェルリゴフのスケッチや油彩を手にとって間近に見ると,1973年に粛清されたこの画家の独特の宗教観や心の動きが伝わってくるようだ。

2005年10月30日

◆ソ連象徴主義

学会5日目。今日は,ベールイの詩が当時のソ連的な大衆詩から受けた影響についての面白い報告があったが,会場にいた80代の女性研究者が,ベールイの詩には高尚な文学や哲学からの影響こそあれ,ソ連の大衆詩からの影響があるわけはないと述べ,報告者が戸惑っていた。ベールイは実際には,ソ連時代の革命的なスローガンや大衆歌なども作品にとりこんでいて,それが後期の作品を多面的にしている。 6年前に参加したチェーホフ学会の時もそうだったが,長年研究してきた対象を神聖化してしまう研究者も多く,彼らは自分が信じる作家像に反する一切の意見を受けつけない。

昨日は,ベールイとマクシム・ゴーリキーの影響関係について論じた報告があり,私も以前から興味を持っているテーマだったが,休憩時間に数人のロシア人研究者が,「ソ連時代に小学校でいやというほどゴーリキーを読まされたのに,今になってまたゴーリキーを取り上げるなんて!」と話していた。もちろんそうした反応をする人はごく一部だが,ソ連時代に禁止されていたロシア象徴主義文学研究を志す人々の間では,「ソ連文化」と象徴主義の関係を認めることに対するある種の拒否反応にあうことも少なくない。ロシア象徴主義とソ連の無視しえない関係を,あえて挑発的に「ソ連象徴主義」と名づけたい誘惑にかられる。

2005年10月29日

◆薔薇

今日から学会会場は,プーシキン博物館から,アルバート街にあるベールイ博物館へ。モニカ・スピヴァクが,ベールイの死にまつわる伝説についてまとめた報告がとても面白かった。その報告が終わった後,会場で一人の白髪の女性が立ち上がり, 1933年,ベールイの死の前年に,コクテベリでベールイに会い,作家が籐椅子に腰掛けているのを見たというエピソードを聞かせてくれた。ロシアの哲学者シュペートの娘だった。その話がすばらしかったのと,彼女が学会会場に入ってきた時から,亡くなった祖母にあまりにも似ていて強い印象を受けたので,その後,素敵な物語のプレゼントに対するお礼を伝えに行った。彼女がベールイや昔について話すと,柔らかい不思議な光の中で往事の作家達がよみがえる気がする。

夕方,ブダペスト大学の主催で,ハンガリーの有名なロシア文学者レーナ・シラルド教授に捧げた文集のプレゼンテーションがあった。シラルド教授は初日から学会に参加していて,以前から憧れだった彼女に私が論文を渡すと,日本語で献辞を書くように求め,漢字ひとつひとつに感嘆の声をあげる優しくお茶目な女性だった。シラルド教授は,象徴主義研究が難しかった時代にいち早くベールイについて専門的な論文を書き,ブダペスト大学で長く教鞭をとり多くの教え子を育て,今はイタリアの大学で教えている。プレゼンテーションには,彼女の堅実な学風と開放的な人柄を慕う多くの人が集まって行われ,今まで見たどんなプレゼンテーションより感動的だった。シラルド教授に教わることのできた学生達も幸運だし,多くの優秀な学生達に恵まれたシラルド教授も幸運だと思う。文章のタイトルは,Sub Rosa. まさに,大輪の薔薇のように鮮やかで,教育と研究を通じて世界中に薔薇の種をまいてきた彼女にふさわしい。

2005年10月28日

◆学会発表

学会のプログラムの変更があり,ロシアのベールイ研究第一人者のラヴロフが司会し,大学生の時からの愛読者の著書だったジョン・エルズワースと同じ席に座って発表することになった。報告のテーマは,「ベールイの『モスクワ』三部作における「視線」」で,その後の質疑応答でも,会場から色々な有意義なコメントをもらって刺激になった。やはり,ベールイ一人だけを扱った専門的な学会なので,出てくる質問や感想,アドバイスもとても面白い。

昼休みには,プーシキン博物館内にあるローザノフ図書館のエクスカーションがあり,名前は知っていても写真でしか見たことのない1900-20年代の稀書を間近に見た。ロシアには,今までの「高尚な芸術」に対する反抗などの意をこめて壁紙に印刷した文集がいくつかあったが,今回見た本に使われていた壁紙は,予想以上に繊細で優雅な風合いで,長年の思いこみとは全然違う趣だった。

報告の後,ベールイ博物館のサイトの立ち上げについての説明があった。皆の興味の中心は,今までにスキャナで電子化された資料のどの程度がサイトで公開されるかということ。ロシアの図書館では,絵を1枚撮影するのに20ドルかかるなど,お金が幾らあっても足りず,そうした事情から研究テーマが限定されてしまうことも多い。諸々の博物館付属の図書館への入館基準も不透明で,問題が山積している。

2005年10月27日

◆クチノ

ベールイが晩年の数年間を過ごしたクチノ村に,前から一度来てみたかった。1920年代,外国から帰ったベールイは,予想した以上の住宅難と急速なソ連体制化に戸惑いながら,モスクワの知人の家を点々と居候した後,やっとクチノに安住の地を見つけた。ここで,連作『モスクワ』が生まれ,多くの回想記が書かれた。

モスクワからバスで1時間半,1970年代に建てられたソ連風のアパート,ダーチャと呼ばれる質素な別荘,郊外開発の波に乗って増えてきた最新のデザインのマンションが混在する町だった。最初に,クチノ郷土博物館を訪ね,ベールイ関連の展示を見た後,ジェレズノダロージュヌイのアンドレイ・ベールイ記念図書館に行った。数年前にその図書館のことを知った時は,普通の地区図書館だと聞いていたが,実際には奥の一室がベールイ記念室になっていて,生前の資料こそないものの,この数十年の出版物やポスターが展示されていた。

驚いたのは,学会のエクスカーションのために,クチノの中学,高校の子供達が10数名もやってきて,ベールイの詩や,ベールイに捧げた自作の詩を朗読したこと。図書館だけでなく,その後歩いたベールイの散歩道でも,池やベンチのそばで子供達の詩の朗読があり,色々な意味で面白かった。特に,子供達が数あるベールイの詩の中からどの詩を選んで暗唱したか(中には同じ詩を朗読する子供達もいた)や,朗読に表われる各自の解釈の仕方など。でも,一番興味深かったのは,子供達の朗読を組織したクチノの50,60代の文化的指導者達が外国やモスクワからの訪問者を迎える様子が,ソ連時代のスタイルそのままだったことだ。拍手,長い演説,ピオネール風に組織された子供達による詩の暗唱。午後,学会発表の会場になったクチノの文化ホールでも,演説が繰りかえされた。

でも,小雪と小雨が交互に降る寒い日だったにもかかわらず来てくれた子供達は,それなりにこのシチュエーションを楽しんでいるようだったし,クチノの温かい歓迎はとても有り難い,思い出深いものだった。歓迎の意を表す時に,自分が子供時代に慣れ親しんだソ連的スタイルに落ち着いてしまうのは自然なことだ。でも泥道での詩の朗読,子供達は本当はどう思ったんだろう。もっと話してみればよかった。

2005年10月26日

◆ベールイ学会

10月26日は,ロシアの作家,詩人アンドレイ・ベールイ(1880-1934)の125回目の誕生日。今日から1週間,125周年記念のベールイ学会が続く。初日の学会会場は,モスクワの中心部のプレチスチェンカ通りにあるプーシキン博物館。今,東京で所蔵品の展覧会が開かれているプーシキン美術館とは,地下鉄クロポトキンスカヤ駅をはさんで反対側にあり,こちらは詩人プーシキンの生涯をたどる展示になっている。

アレクサンドル・ラヴロフ,ウラジーミル・ベロウスなどの報告も興味深かったが,学会の内容については後で別にまとめることにして,今日の目玉はなんといっても,ベールイがスイス時代に描いた水彩画の展覧会が学会に合わせて始まったことである。眼の中に人が座っている絵,不思議な螺旋の絵など,ベールイが人智学に影響を受けて描いた独特の絵画がならぶ。展覧会の会場となったベールイの家博物館は,モスクワの古い町並みと観光地の雰囲気がまじりあうアルバート街にある。常設展示にも,ベールイの絵や20世紀初めのモスクワの写真があり,小さいながら楽しい博物館になっている。

展覧会の後,ベールイの125回目の誕生日を祝って,博物館のホールで皆で乾杯した。象徴主義文学の研究が認められていなかったソ連時代を体験した人々は,ベールイの誕生日を記念して世界中から大勢が集まる日が来るとは夢にも思わなかったと口々に言っていた。ベールイ学会は1970年代にアメリカで始まり,80年代にイタリアで行われた。当時は,ソ連で象徴主義の文学研究が難しく,ベールイの国際学会を開くことなど思いもよらない時代だった。ましてや,ベールイが,検閲や家族の逮捕に苦しみながら亡くなった1934年には,70年後に大規模なベールイ学会がモスクワで開かれるなど,冗談にしか思えなかっただろう。今回,ベールイ学会が1週間も続くことに最初は驚いたが,参加者達が長年の思いを語るには,それでも足りないという感じなのだ。