2005年09月27日

◆アート・ストレルカ

真夏のモスクワはからっぽだ。長い休暇をとって,郊外にある自分や知人のダーチャ(別荘)に行ってしまう人が多いので,8月のモスクワは,地下鉄も街も閑散としていて,田舎町に来たような錯覚に陥る。

モスクワ川沿いの《アート・ストレルカ》(写真)でも,ギャラリーの人々が中庭で西瓜パーティーをしながら,のどかな昼下がりを楽しんでいた。《アート・ストレルカ》は,ヴェネツィア・ビエンナーレなどでおなじみのアーティスト,ウラジーミル・ドゥボサルスキーの発案で作られた話題の美術スポットで,2004年9月にオープンしてちょうど1年になる。何軒かあるギャラリーの中でも,一番の注目は,ゲリマン・ギャラリーと並んでモスクワのアート・シーンをリードする挑発的なギャラリー《XL》のスペースで,時にはパフォーマンスも行われる。

《アート・ストレルカ》は,ロシアの老舗の製菓会社クラースナヤ・オクチャーブリ(赤い十月)の工場のガレージに作られた。しかし,クレムリンの対岸というモスクワの中心部にあり,常に取り壊しが取り沙汰されていたこの工場は,昨年とうとう移転が決まったので,《アート・ストレルカ》も早晩なくなってしまう運命にある。この工場は,煉瓦造りの城を思わせる歴史ある建築で,モスクワのひとつの顔でもあり,重要な文化的遺産だった。モスクワ市建設部の代表者は以前,この建物はできれば文化財として保存していきたいが,やはり公害や道路渋滞の問題が……とラジオで不熱心に語っていたが,用途を変えて建物を残す方法は検討されなかった。「黄金の島」と呼ばれる利権がらみのこの土地には,近々,最高級のマンションが建ち並ぶ。

2005年09月26日

◆チシコフ《僕の月》

この夏モスクワで見た展覧会の作品の中でも,現代ロシアのアート・シーンを代表するレオニート・チシコフと写真家ボリス・ベンジコフのプロジェクト《僕の月》はとりわけ印象に残った。連作写真の被写体となるのは,夜,月を運んで森へ消えるチシコフ,月をのせて湖にボートを漕ぎ出すチシコフ,月が病気になれば添い寝をし,古びた高層アパートの上で寂しい夜景を前に月と過ごすチシコフ……

チシコフは,この数年もっとも注目しているアーティストの一人で,毎回作風も素材もがらりと変えて,新しい驚きで期待に報いてくれる。チシコフが生みだす奇想天外な夢の生物たち,ウラルで過ごした幼年時代の記憶に貫かれたノスタルジックな映像作品,祖先と古い洋服をテーマにしたインスタレーション…… チシコフの作品の魅力は,過激な想像力の背後に滲む人生と人々への愛着である。故郷,草,池,空という地上のすべての場所への惜しみない愛も,チシコフの多くの作品に共通するエナジーである。

《僕の月》に出てくるモスクワは,ヴィクトル・ツォイの歌「カッコウ」のように切ないモスクワ南部の寂寥を伝えていて,一目見ればあの独特の空気に体中包まれる(屋上の写真は実際に,モスクワ市南部のチェルターノヴォで撮影したとのこと)。《僕の月》を見て,チシコフが場所にまつわる思いをあざやかに伝えられるアーティストであることを再認識した。

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2005年09月25日

◆最近のスピード料理

ナスとピーマンの鍋しぎ・フライパンいらず
薄めに切ってあく抜きしたナスとピーマンを,耐熱容器に入れて,味噌,ごま油,砂糖,酒,みりんを好みの分量入れて,ラップをしてレンジで7分程度熱する。かきまぜてから再びレンジで5分程度熱して味をしみこませればできあがり。しっかり煮込んだように甘辛い。忙しい時の副菜に。

海老とキャベツのマヨネーズ和え
適当に切った玉ネギ(1個)と大量のキャベツをレンジで5分程度加熱した後,フライパンでごま油で炒め,解凍むき海老(1パック)を入れて,塩,胡椒で味を調え,好みの分量のマヨネーズを混ぜてからお皿へ。キャベツから水気が出るのでスープ風になり,スープに溶けたマヨネーズはロシアのスメタナ(サワークリーム)風の味に。中華街では生キャベツの千切りと海老とマヨネーズを合わせていたが,加熱して野菜をたくさんとれるようにしてみた。

うずら豆のグラタン(100円レシピ)
千葉テレビでやっているオーストラリアの番組「イタリアの味覚」で紹介されていた料理を30倍くらい簡単にしたもの。市販のナポリタンソース,うずら豆の水煮(Fagioli Borlotti,缶詰の汁は切る),オリーブ油,胡椒,粉チーズを交互に耐熱皿に入れて,オーブンで好みの固さに焼く(たとえば170度で9分)。ベーコンやツナを入れても可。

2005年09月24日

◆イサム・ノグチ展

東京都現代美術館で,11月27日までイサム・ノグチ展を開催中。高さ3.6メートル,重さ約17トンにも及ぶ黒花崗岩の彫刻《エナジー・ヴォイド》(1971-72)も展示されている。ふだんは,牟礼のイサム・ノグチ庭園美術館で蔵の中に置かれ,東京に先駆けて行われた札幌芸術の森美術館の展覧会では池の上に設置された。次は,もっと自然の呼吸が感じられる香川の薄暗い蔵の中で見てみたい。

イサム・ノグチがマスタープランを作ったモエレ沼公園が,今夏,札幌で全面完成した。今回出展されていた様々な公園の模型を見ると,まるで地面の一部が盛り上がったりへこんだりして遊具や建築が出現したかのようで,人工物が砂や土と一体化したものとして構想されていたことがよく分かる。

2005年09月23日

◆伊豆

先週,「ソヴィエト全体主義における文化」の研究会合宿で伊豆へ。ソ連時代の文化,思想,政治,経済についての報告会。会議室は,報告のひとつのテーマでもあったソクーロフ監督の新作映画『太陽』に出てくる天皇の住居を思わせるレトロな造りで,窓から静止画のような海が見えていた。

合宿の後,一日かけて伊豆を一周した。石廊崎から堂ヶ島にかけて続く静かな入江を見て,太田大八の絵本『だいちゃんとうみ』(福音館書店)を思いだした。夏休みを長崎の海辺の村で過ごすこどもたちの話で,川えびすくいや浜辺の食事の様子が楽しそうで,海の絵が美しくノスタルジックだった。この絵本を初めて読んだのは,〈こどものとも〉1979年8月号として発売された時。当時は海辺に住んでいたが,じっと見ていれば海にはこんなにたくさんの色が見えてくるのかと思い,絵本の絵に興味を持つきっかけになった。

2005年09月07日

◆言葉では言い表せない

ロシア南部のベスランでのテロから1年が過ぎた。今夏のモスクワの地下鉄の壁には,黒い地に白地で「言葉では言い表せない」と書かれたポスターが一面に貼られていた。昨年9月3日に,テロリストに占拠されたベスランの小学校で亡くなった331人の犠牲者を追悼する集会の予告だった。どんな団体がどんな趣旨で行うのか,ポスターには全く記されていなかったので,気に掛かっていた。集会は9月3日の午後4時,赤の広場で行われるとのことだったが,ちょうど私の出国の日だった。だがその日の朝,都心で,若い青年二人が集会予告のパンフレットとシールを配っていたのを受け取った。

パンフレットには,1995年以降にロシアで起こったテロ(とテロとみなされている事件)の痛ましい写真と死者数,そして,末尾に文章が載っていた。「私達は一つの国。一つの民族。だが私達は殺される。人でなし共が,私達が自分の家で眠る時,地下鉄に乗っている時,休息している時,子供達を学校に連れて行く時に,彼らに対する恐怖のうちに生きることを望んでいる。しかしそうはならない。あの悲劇は言葉では言い表せない。もう二度と大地を歩くことのない人々を悼む全ての苦しみと悲しみは言葉では言い表せない。あれを行った者達は永遠に呪われる。私達にできるのは記憶して生きることだけ。そして,彼らのために,あのようなことが二度と起こらないよう全てのことをするだけ」。このパンフレットの内容と,それを配っていたのが10代の青年達だったのを見て,悪い予感がしていた。

やはり,この集会を催したのは,プーチン大統領への忠誠を誓う官製青少年組織「ナーシ(我らの人々)」だった。20歳以下の青少年が主体で,「ファシズムからの祖国防衛」という時代錯誤的なスローガンを掲げ,今年5月15日,モスクワで,全国30の支部から来た6万人のメンバーでデモと集会を行い,存在感を増している。総帥ワシリー・ヤケメンコらは,クレムリンでプーチン大統領とも接見し,大統領自身の後見を得て,ほぼ全ての左右野党勢力を敵視している。反体制派に対抗する手段として使われるだろうという見方がされている。

その後の報道によると,「ナーシ」が企画した追悼集会には,3万人前後(参加者はもっと少なかったという説もある)が集まり,331回の鐘が鳴る間,人々は蝋燭を手に持って黙祷した。集まった多くの人は,ベスランの犠牲者を追悼したいという気持から来たのであって,「ナーシ」の理念に賛同したわけではないと思う(その場に来るまで「ナーシ」が企画した団体だと知らない人も多かった)。

だが,あの事件を首都で追悼する唯一の大きな場が,ああした色彩で彩られたのは残念で仕方ならない(前日の金曜には,チェチェン独立の必要性を訴える人権擁護団体がベスランの追悼集会を行ったが,宣伝力もなく,参加者は150人にすぎなかった)。当然ながらテロは許すことができない。しかしなぜテロが起こったのかを考えることなしに,悲劇の反復を防ぐことはできない。あの事件で亡くなった犠牲者のうち186人は子供だった。だが,チェチェンで亡くなった子供の数は分かっていない。

プーシキン広場でパンフレットを配っていた「ナーシ」の下っ端の中学生達は,まだあどけなく純真で,自分達が正しいことをしており,大きなもののために献身的に働いていると確信していた。でも,与えられた言葉を聞くだけでなく,もっと現実を見て自分の頭で考えて欲しい。

2005年09月06日

◆炎

先月末,モスクワ郊外の村で大火事に出くわした。家具の小売店が集まる大きな市場が丸焼けになり,炎は空まで届きそうな勢いだった。その火事の真相は分からないが,その村では,商店でいざこざがあると数日後には火付けされる。モスクワでも,クレムリン脇に位置する歴史的建造物,マネーシュが昨年3月,イズマイロフスキー公園の土産物市場が今年3月,そしてこの夏は,モスクワの小型書店が相次いで火事で焼失した(マネーシュと土産物市場はすでに再建された)。どの件も,政治的な理由や,都市開発,不動産取得の理由から放火されたという見方が強い。ロシアに巣くう暴力の炎が弱まる日は来るのか。相次ぐ放火のニュースを聞くと,口を開けた暗い深淵のようなものを感じる。

2005年09月05日

◆ユーリー・ドルゴルーキー

モスクワからの帰りの飛行機で,ガス会社の技師をしているロシア人と隣り合わせになった。彼は奥さんや大学生の息子達の写真を見せてくれ,ソ連崩壊後に,生まれ育ったタジキスタンを離れて今はチュメニ近郊の村に住んでいると話してくれた。そこはタイガに囲まれた小さな村で,週末には狩猟に出かけ,サイクリングやドライブを楽しんでいるという。別れ際に,とてもきれいな瓶に入った《ユーリー・ドルゴルーキー》という名前のウォッカをプレゼントしてくれた。彼はお酒を飲まないけれど,日本で知り合う人ためにウォッカやマトリョーシカを持ってきたらしい。

ユーリー・ドルゴルーキー(1090年代-1157年)は,ロストフ=スーズダリ=ウラジーミル大公国君主で,都市建設に励み,今のクレムリンの位置に城砦を築き,モスクワの創建者とされる人物。モスクワの存在を記した最古の文書は,ノヴゴロド・セーヴェルスキー公スヴャトスラフ・オリゴヴィチに宛てた「モスクワに来たれ」というドルゴルーキーの1147年の手紙なので,この文書を根拠に1147年がモスクワ元年とされている。ちょうど今週締切の論文でドルゴルーキーのことを書いているので,それが終わったら記念に飲んでみたい。

モスクワを出発した9月3日は,毎年9月最初の日曜に祝われる《モスクワの日》の前日だった。このお祭りでは,モスクワの都心のあちこちに仮設舞台ができ,野外コンサートが開かれ,大通りはパレードのため歩行者天国になる。9月2日の深夜,モスクワの目抜き通りトヴェルスカヤ通りに面した市庁舎とユーリー・ドルゴルーキー像の近くで,パレードのリハーサルをやっていた。ソ連時代のピオネール(社会主義青年同盟)を思わせるダンスもあれば,派手な衣装に身を包んだ子供達の踊りもあり,その組み合わせはとても奇妙だった。仮設舞台はまるで新アルバート街辺りのカジノのようなデザインで,しかもその舞台の中央から荘厳なドルゴルーキー像が顔を出し,最近のロシアのキッチュな一面が見事に表れていた。でも,リハーサルのために通行止めになり,ライトアップされた夜のトヴェルスカヤ通りは,特別な祝祭の空間だった。

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