◆Moscow-Tokyo
23日は卒業式。卒業を迎えた学年とはもう2年半のつきあいだったので感慨深かった。ゼミ生一同に花とプレゼントをもらい,感激すると同時に,もっといろんな指導ができたのではと反省もしてしまう。
翌日から30日までモスクワ出張。今年のモスクワの3月は例年にない寒さで,インフルエンザも大流行していたが,色々な人のおかげで,どうにか病気もせず無事滞在を終えることができた(道がつるつるに凍っていたので,1度だけまるで滑り込みセーフのように豪快に転んだが,あまり怪我もしなかったし…)。久しぶりに懐かしい町,懐かしい人たちに会うと,日本にいる間は静かに眠っていた心の中のモスクワにあかりが灯って,一瞬のうちによみがえるような気がする。
正味5日間弱の強行軍だったが,共同研究者には4回も時間を割いていただいたり,展覧会を7つも見たり,友人たちに再会したりで有意義だった。トレチャコフ美術館別館で開催中のシャガール展は,世界中の美術館やコレクターから作品を借りてきた大展覧会。ふだん空いている別館が混雑しているのを見て,ロシアでのシャガール人気を知ったのも興味深かった。クローキン・ギャラリーのレオニート・チシコフ展や,モスクワ・フォト・ビエンナーレの各種展示も見応えがあった。フォト・ビエンナーレに参加した外国のアーティストのなかでは,やなぎみわの《Elevator Girls' House》に強いインパクトがあった。渋谷の若者たちの群像を撮影したマリヤ・チェルニコワのビデオは,粗雑な編集で,なぜこれが出展できたのか分からない。ロボットめいたコスチュームに身を包んだ家族の日常を描いたErwin Olafの《Separation》(ビデオ+写真,2002-2003)は感動的だった。モスクワ現代美術館では,ソ連のピオネールをテーマにした写真に彩色した作品が群を抜いていた。同館の常設展で,いつのまにかニコ・ピロスマニシヴィリやダヴィート・シュテレンベルクの作品が増えているのも嬉しい。
トレチャコフ美術館新館と国立現代美術センターでは,《モスクワ-ワルシャワ》展を開催中。(国立現代美術センターでは昨秋,新館がオープンしたが,旧館の地下室めいたホールの方が瞑想的な空間でユニークだと思う。)過去に開催された《モスクワ-パリ》展や《モスクワ-ベルリン》展が,フランス美術に影響を受けたロシアの画家たちや,ベルリンで暮らしたロシアの画家たちの作品などを集めて,文化交流に焦点をあてていたのに対して,《モスクワ-ワルシャワ》は,同時代のロシアとポーランドの美術の比較や,同テーマの作品の比較などが中心で,展覧会全体の構成がやや弱い感は否めなかった。だが,ロシアの画家ペトロフ=ヴォトキンと,彼に酷似した作風を持つポーランドの画家の対比や,マレーヴィチに捧げられた両国の作品,肖像画の対比など,面白いコーナーもあった。私の周囲にも,次はぜひ《モスクワ-東京》展を実現させたいと思っているロシア人美術研究者は多い。ロシアと日本には様々な美術交流の歴史もあり,きっと《モスクワ-ベルリン》に劣らぬユニークな展覧会が開催できると思う。今回の滞在中に,国立美術センター《ロシゾ》所長で,2月に行われた第一回国際モスクワ現代美術ビエンナーレのオーガナイザーでもあるヨシフ・バクシュテインにインタビューしたところ,彼ももともと《モスクワ-東京》展の実現に強い興味があるということで,その話で盛りあがった。
町について。好景気のモスクワはどんどん町の貌を変えていき,物価は昨夏に比べても一段と高くなっている。そんな状況でも,多くの人の給与や年金はほとんど上がっていない。路地に面したマクドナルドのテイクアウト専用の窓口で,簡単な夕飯を買おうとすると,その日窓口を一人で担当していた優しそうな女性が,ホームレスにハンバーガーを無料で分け与えていた。物も言わずに立ったままハンバーガーをむさぼるホームレスの男性の横では,中年の女性が周囲の人にしきりにハンバーガーとチーズバーガーの違いや,チーズバーガーにも肉が入っているかどうかについて尋ねつづけていた。モスクワにマクドナルド第一号店ができて話題になってから早10年余り。彼女はその日初めてマクドナルドにやってきたのか興奮していて,貴重なお金で何を注文すればいいのか決められないようだった。大規模なショッピングモールやビジネスセンターが次々に建設されているが,都市のインフラは一向に整わず,モスクワ南部に住む友人の家の電話回線の状態は日増しに悪くなり,一日の半分以上は電話がつながらない。
でも久しぶりに話した60代,70代の友人たちは,そんな経済状態やインフルエンザにもめげず,体をだましだまし,明るく働きつづけていた。1人は,家政婦をしている先で赤ちゃんが生まれて楽しいと語り,もう1人は今年はトヴェーリやクラスノヤルスクに出張に行くので楽しみだと語っていた。彼らにはとても力づけられる。
